萱島酒造の敷地内に建つ萱島須磨自会長宅には、芸術に造詣の深かった二代目・米三郎の集めた書画や揮毫が保存されている。また、須磨自会長自身も少年の頃から絵画を嗜み、数多くのデッサンやスケッチなどを制作している。 これらのコレクションは、歴史と伝統を醸し出す萱島酒造にふさわしい逸品である。
中村不折 作 日本画
中村 不折(ふせつ)は、慶応2年(1866)東京生まれ。 少年期は父の商売で信州を転々とし、15歳の時に一念発起して芸術家を目指す。苦学しながら漢学や洋画を学び、小山 正太郎 画伯に師事し、本格的に絵画を学んでいる。 明治34年(1901)渡仏し、近代西洋絵画の影響を受け、新進気鋭の作風で登壇。大正8年(1919)帝国美術院会員となる。 水墨画と洋画の色彩が調和したこの絵は、当時としては新たな画風の作品だったのだろう。
池大雅 作 若竹の掛け軸
池大雅は、享保8年(1827)京都に生まれた。幼い頃から漢文、書道に優れた才能を示し、15歳で扇屋を構え、扇子に絵を描いて生計を立てた。後に中国南宗画を学び、独特の画法を確立。また、筆の代わりに指を用いて描く「指頭画」も残している。 高野山遍照光院の襖絵や、「十便図」「楼閣山水図」など、日本を代表する作品を数多く創作している。 この若竹の筆致も、大雅独特の優美と幽玄の調和を感じさせる。
帆足杏雨 作 牡丹の掛け軸
江戸末期から明治初期に活躍した南画家の帆足 杏雨(ほあしきょうう)は、大分市戸次の庄屋の四男として生まれた。杏雨の父や兄は俳諧をたしなみ、書画に親しむ芸術一家で、我が国の代表的な南画家の田能村 竹田(たのむらちくでん)とも親交があった。 杏雨は竹田に南画を学び、修行のために長崎や京都を放浪している。 この絵は、萱島家へ杏雨と竹山が連れ立って逗留した折に、寄贈されている。 微妙に変化する細く穏やかな墨線、静寂で典雅な画風は、逸品の価値を感じさせる。