海の幸、山の恵み、仏の心に育まれた国東の地、その歴史ロマンを醸す酒、西の関
「黒津崎海岸」に打ち寄せるさざなみが、春の光芒をきらめかせています。霞みたなびく水平線の先には、四国の宇和島。この伊予灘は、悠久の時代から豊後国・国東地方を育んできた母なる海です。
白砂青松の景勝地であり、夏には海水浴場として活況する黒津崎海岸も、今はまだ人影も無く、心地良い潮騒を耳にしながら散策することができます。
そして、後ろを仰ぎ見れば、国東の父なる山・両子山(ふたごさん)や文殊山(もんじゅさん)の稜線が新緑に萌えていました。その麓は「六郷満山(ろくごうまんざん)」と称されるほど数々の名刹と古寺が佇み、静謐な気配に包まれていると聞きます。
手つかずの豊かな自然、人々の厚い信仰心……この町の温かく穏やかな空気は、遥かな古代から息づいていたのかも知れません。と言うのも、国東町の中心地では弥生時代の遺跡が発掘されています。「弥生の村・安国寺集落遺跡公園」には、当時を髣髴とさせる竪穴式住居や集落跡が再生され、観光客たちを歴史ロマンにいざなっているのです。
公園の敷地脇には、山麓を下ってきた「田深川」のせせらぎが流れています。“弥生の川”とも呼ばれる清冽な流れは深い山々に源を発し、その地下水は今回の訪問蔵・萱島酒造の酒造りにも使われているのです。
取材班の胸に、銘酒・西の関への期待が湧き上がります。
さて、歴史上、豊後の領主と言えば、大友 宗麟(おおともそうりん)の名が挙がります。九州の戦国武将の中でも「キリシタン大名」として知られた英傑で、宗麟をはじめとする代々の当主は、800年近くにわたって国東地方の覇権争いを続けていた土豪たちを家臣に従えました。
これらの国人たちの系譜は古く、例えば、貞観8年(866)畿内名家の紀氏の血統である紀秀任(きのひでまさ)が国東郡司になって以後、その子孫が代々郡司職を継承し、各地で国東紀氏が繁栄していきました。また、東国東郡国見町の伊美八幡は仁和2年(886)に勧請されましたが、起請したのは奈良大安寺の僧・行教(ぎょうきょう)で、彼は紀氏の家系でした。
そして、この紀氏の後裔である岐部氏、櫛来氏などは元寇の「弘安の役」で戦功を立てており、水軍として活躍したことが分かります。
戦国末期には、岐部氏、田原氏、富来氏、真玉 氏、都甲氏、櫛来氏などが「国東郡衆」と呼ばれ、巧みな航海術を持ち、大友船団の舵を操って瀬戸内海や豊後水道を縦横無尽に疾駆しました。また、国東の水軍は豊臣 秀吉の「文禄の役」に際して下知を受け、朝鮮へも出兵しています。
そして、これらの水軍を束ねたのは、大友三大支族の一つである田原氏でした。大友氏初代・能直(ただなお)の血筋である田原氏は、国東地方の地頭職を代々継承してきた名門です。ちなみに歴史編でも紹介しますが、萱島酒造の蔵元である萱島家は、この田原氏の家老職にあった家柄なのです。
かつて武人たちが駆け抜けた国東の山野には天台宗の古刹や曹洞宗の禅寺がひっそりと建ち、幾多の石仏と甍が往時を偲ばせています。
足利尊氏とのゆかりが深い「安国寺」は、元寇での戦死者、南北朝争いでの英霊を弔うことを目的に室町時代初期に創建されたものです。寺内には、尊氏の生存中に作られた坐像が収蔵されています。
標高約600メートルの文殊山の懐には、知恵の泉が湧く「文殊寺」があります。開山は大化4年(648)で、役(えん)の行者が開基したと伝えられています。国東最大を誇る宝篋印塔や、12年に1度しか公開されない奥の院の本尊文殊菩薩など、貴重な石像文化財が残されています。森閑とした長いきざはしを登りつつ苔生した羅漢の表情を見つめれば、1400年の時空を越えたような気分です。
そして、国の重要文化財に指定された最古の国東塔(国東地方独自の石像文化財)を残す岩戸寺。ここは天台宗の寺院で弘安6年(1283)に建立、以来、珍しい修正鬼会(しゅうじょうおにえ)の習わしが伝承されています。その趣旨は五穀豊穣、国家安泰、無病息災、万民快楽の祈願にあります。また、平安時代後期の作と言われる薬師如来像も一見の価値があり、御利益を求める年配者の姿を見受けます。
戦乱に明け暮れた国東の武士たちは、束の間の休息にこれらの仏寺を訪れ、自らの贖罪を祈ったことでしょう。
さて、国東まで来たなら誰もが足を伸ばすのが「別府温泉」。そこかしこに湯の香が立ち込める別府の町は、8つの個性溢れる温泉郷を擁しています。
別府・浜脇・鉄輪・明礬・観海寺・亀川・柴石・堀田の湯元を総称して別 府八湯と呼び、その源泉数は2,850箇所。湧出量とともに、日本一の源泉数を有しています。
市街地には公共の温泉浴場が多く、湯めぐりを楽しむのも一興でしょう。
特に明治12年(1879)創業の「竹瓦温泉」は別府市営の温泉で、町のシンボルとも言えます。重厚な木造建築とノスタルジックな雰囲気が人気で、当初は青竹で屋根を葺いていたことからこの名が付いたそうです。
また、別府地獄も見逃せない観光スポット。「坊主地獄」「血の池地獄」「海地獄」など、多彩な温泉源は圧巻のスケール。濛々と噴き上がる煙と硫黄の臭いは、忘れられない思い出となるはずです。
国東の美しい旅情と別府の湯には、グルメな料理と日本酒がピッタリです。伊予灘から玄界灘にかけての海は、魚介類の宝庫。関サバ、関アジ、城下カレイなど全国の食通 を唸らせる高級魚だけでなく、国見沖に浮かぶ姫島産の車エビやタコは絶品です。
安くてウマイ!と人気なのが「銀たち」と呼ばれる太刀魚の料理。刺身、蒲焼など鮮度が自慢のメニューは、地元の町おこしになるほどの美味なのです。
そして、そんな新鮮な肴には、やはり地元の銘酒・西の関。「西の横綱」の栄誉にふさわしい萱島酒造の美酒は、瀬戸の魚に合う、味のある旨口酒です。
澄んだ潮風と太陽の輝き、山ノ神と海ノ神からの豊かな恵み、温かな人々の心……そんな国東の魅力までも醸した銘酒「西の関」のしずくに、じっくりと酔いしれてみましょう。