極上の「西の関」の吟醸酒は、徹底した普通酒へのこだわりから生まれる
「私は28歳で、萱島家へ婿として来ました。結婚する前は普通のサラリーマンで、関東にある釣具メーカーの営業管理をしておりました。ですから、酒蔵の跡取りになるなど、夢にも思ってませんでしたよ。私の実家は、福岡県で石炭の商売をしていたのですが、昔は酒屋さんの支払いが悪かったらしくてね。(笑)そんな話しを父から聞いていたので、縁談話しをもらった時は、ちょっと当惑しました」
朗らかな表情に冗談を交えて自己紹介をしてくれたのが、萱島酒造の五代目・代表取締役の萱島 進 社長です。
萱島 社長は、昭和23年(1948)福岡県の出身。青年期には、営業マンを皮切りに、サービス業、現場仕事などさまざまな職業を経験した人物で、多彩なセンスを持っているようです。
「都会の営業マンですから酒の付き合いは多かったのですが、実はその頃、酒が飲めなかったんですよ。一合が精一杯でしたね。それが、国東に来てからは空気がうまいし静かだし、健康的で、おまけに酒は売るほどあるわけで(笑)。しだいに飲めるようになりまして、ようやく皆さんのお相手をできるようになりました」
のっけからの楽しい話術、そして須磨自 会長に見込まれたことも含め、萱島 社長がひとかどの人物であることを感じます。
萱島社長は、結婚後すぐに東京都北区滝野川にあった国税庁醸造試験場へ入り、2年間かけて専門的な日本酒造りから業界のしくみまで幅広く修得しました。
「家業に入ったのは、昭和53年(1978)からです。その頃は地酒ブームの最中で、『西の横綱・西の関』とブームになってましたし、新大分空港の開港以来、地元にはビジネス客や観光客が増えて、当社の酒をたくさん飲んで頂きました。ですから、おかげさまで焦ることなく、じっくりと蔵元としての基本を学ぶことができました」
萱島社長が戻った頃、首都圏で高まった地酒人気が遅ればせながら九州にも流布していました。さらには、萱島酒造は創業100周年を迎えたばかりで、そんな機運も「西の関」の飛躍に重なったようです。
この時、萱島酒造は「品質一貫一世紀」のスローガンを掲げています。その意図を萱島社長に訊けば、「これは、会長が作られたキャッチコピーなんですよ。例えば、当社の秘蔵酒のヒットは吟醸酒ブームの魁になりましたが、その基本は伝統的な日本酒造りを一貫して続けてきたことにあるという意味です。会長は『地酒とは、日々の食べ物であるべし』と言われます。
昨今、雑誌やマスコミに取り上げられる地酒は“地方銘酒”であり、これらは、日々その地の人が飲む酒とはちがいます。当社の酒は、この地方銘酒ではなく、暮らしの必需品として嗜まれる存在なのです」と答えます。
なるほど、どうやら「品質一貫一世紀」は萱島酒造理念への入り口のようです。それではここをポイントに、酒造りのポリシーへと聞き進んでみましょう。
「当社の醸してきた酒、継承してきた酒造りは、大分地方の暮らしに合った素直なものだと思います。ですから、ブームを意識したり、流行を追いかけたりするものではないのです。もちろん、新しい技術や設備改革は取り入れますが、核心は自分たちの酒造りをしっかりと守り続けることだと思っています。そして、西の関の特長を消費者の方にきちんと伝え、知ってもらうことですね。ですから、極上の大吟醸酒などに固執するのではなく、普段飲まれる普通酒こそこだわるべきだと思います。そうすれば、ファンのお客様は必ず増えてくるはずです」
レギュラー酒にこだわれば、全体的な品質ボトムが上昇する。その結果として上質の吟醸酒が生まれると、萱島 社長は語ります。いくら声高に「最高品質の大吟醸酒」「受賞した金賞酒」「高額なプレミア酒」などとアピールしても、それは一時しのぎであって、長い目で日本酒の価値を啓蒙するものではないと指摘します。
普通酒が基本と謳う萱島 社長は、現状の日本酒消費の動向について、どう考察しているのでしょう。
「正直なところ、なぜ、どちらのメーカーも高級な吟醸酒ばかりを追い求めるのか、いささか疑問を抱いています。日本酒の消費全体から見れば、70%は普通酒なのです。そして、吟醸酒はわずか5%。その狭き門に、多くの蔵元が殺到しているわけです。本来、国酒を商う蔵元として、それでいいのかと思うのです。今のような時代ですから、少しでも“売れる酒造り”に血道を上げるのは分からないではありませんが、それと日本酒を嗜む習慣や文化を守り育てていくことは、別物だと思うのです。地酒ブームからバブル期までは、多くのメーカーが何十種類もの吟醸酒を造り、どんどん流通に売り込みました。『とにかく、地酒はイイんだ』というイメージ、先入観を植え付けていましたから、消費者も飛びつき、利益を生みました。
でも、今になって、その弊害が現れていないでしょうか。ワイン、焼酎などでアルコール市場が飽和して消費者側優位の本物志向の時代となり、結果的に、やたら増えていた吟醸酒は、よく分からない似たような酒になって、さらに厳しい市場になっています。
ですから、当社は、最もお客様の層が厚い普通酒にこだわり、まずはそこで西の関の本質を知って頂けるように努力しています」
萱島 社長は吟醸酒を否定しているのではなく、吟醸酒は洗練された普通酒、腹いっぱい飲んで美味しい酒の上にあるものだと付け加えます。
さらに、社長の解説を補足する萱島 常務は、地元消費者から寄せられた声を披露してくれました。
「当社はレギュラーレベルであっても、精米の品質管理は徹底しています。それぞれの米の旨味が感じられるように微妙な数値までこだわり、そこから当社独自の旨口の酒が出来上がるのです。以前、少し米にバラつきがあった時、お客様から電話を頂戴し『味が変わったじゃないか』とお叱りを受けたことがありますが、とても有り難い言葉でした。
そんな西の関ファンにきちんとお応えできるためにも、普通酒造りが原点であると考えるわけです」
都会の消費者から「もう少し、辛口にならないのか」や「若干スッキリして欲しい」などの意見が寄せられることもありますが、丁重に、西の関ならではの酒造りと味わいを説明し、変えることはしないと答えているそうです。
こうしたポリシーの上に立った西の関の吟醸酒は、国内では地元・大分県を主に安定したファン層を獲得し、最近は海外での市場へも、少量ながら進出しています。
「当社は、アメリカ向けが多いです。ロサンゼルス、サンフランシスコを中心とした西海岸、ニューヨーク、シカゴなどの東海岸を視野に入れています。日系人ではなく、自国のネイティブな方に飲まれていますよ。アメリカで受け入れられ、嗜好されることの波及効果は、かなり大きいでしょう。情報伝達のスピード、ネットワークの広さなど、非常にグローバルですから、どんな動きが出てくるのか楽しみですね。それと、この3月からカタール航空の機内食に使われています。突然、先方から連絡がありましてね。当初は、はてカタールってどこだったかなと戸惑ってしまいました(笑)」と萱島 社長は表情を綻ばせます。
この海外で動き始めた西の関の人気が、今、九州全体で評判となっていて、大分県以外の市場でも効果的なPRにつながっているそうです。ただ、今後日本酒が海外に普及すれば、関税や製品の規制基準などが改定されてリスクも増えてくると、萱島 社長は読んでいます。
このような新たなビジネスも含め、今後の日本酒の展望とメーカーのあり方について、萱島 社長は明解に締め括ってくれました。
「あれこれと手を出すのではなく、本来の自社の個性を磨き、得意な市場で勝負すべきだと思います。それは、お客様が望んでいることでもあります。今こそ、揺るぎない個性を持つ時代だと、私は思います」
不易流行……そんな語句が、筆者の脳裡に思い浮かびました。
あるがままの国東の旨い酒「西の関」。その粋なる味わいは、さらに吟味されながら、多くのファンの舌と心を掴んでやまないでしょう。