辰馬考古資料館
辰馬考古資料館は、白鷹株式会社の第三代・辰馬悦蔵(1892~1980)が、昭和51年(1976)に設立したもので、所蔵資料は考古遺物と南画家・富岡鉄斎(1836~1924)の作品群で構成される。 悦蔵は若い頃から考古学を志し、京都帝国大学で研鑽を積むとともに、銅鐸と玉 類などの研究に取り組み、私財を投じて、これら資料の収集・保護に当たった。中でも弥生時代の銅鐸は質量 ともに優れた収集と、学会からも高く評価されている。 一方、初代蔵主であった悦蔵(1835~1920)との親交から、鉄斎作品も約150点が所蔵され、ことに畢生の大作「阿倍仲麻呂明州望月図・円通 大師呉門隠栖図」(重要文化財)は、鉄斎が辰馬家に逗留中に執筆したもので、鉄斎79歳での逸品。
袈裟欅文銅鐸
(名古屋市瑞穂区軍水町中根出土・弥生時代・高さ83.2cm) 銅鐸は弥生時代に用いられたブロンズ製の鐘(ベル)のこと。当初は小型で、実際に鐘として使用されていたが、次第にこの出土品のように大型化し、宗教的なシンボルとして扱われるようになった。 この銅鐸は全面に渦巻きの文様があるのが独特で、重要文化財に指定されている。
注口土器
(茨城県稲敷郡江戸崎町椎塚貝塚出土・高さ22.3cm) 球形の器体に注ぎ口をつけた液体容器。一般には、蔓(つる)などを使って提げるように作られているが、この出土品では、その部分も土器として作られている点が珍しいとされる。
富岡鉄斎 作 屏風「安倍仲麻呂明州望月図・円通大師呉門隠栖図」
鉄斎円熟期の代表作。この作品には、中国に渡りながらも帰国を果たせず、異国の地で没した2人の歴史上の人物が描かれている。 ここに掲載してあるのは、阿倍仲麻呂が海上の月を眺め、“天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも”と望郷の思いを詠み、人びとを感嘆させたという故事に基づいたものとされる。(一部)