酒神へ畏まり、酒の命と語り合えば、美禄のしずくは生まれる。
あたかも白亜の要塞のような、御所野蔵。広い玄関は劇場エントランスの雰囲気で、いわゆる“酒蔵”の印象とはかけ離れています。
本社蔵と合わせると、現在の秋田酒類製造株式会社の生産量は16000石。この御所野蔵は約3000石を醸し、大手酒造メーカーから中小蔵元、酒販業界までが羨望する全国屈指の酒造設備を誇っています。その証しが、高清水で16年続けて醸されている全国新酒鑑評会の金賞酒でしょう。
取材スタッフを迎えてくれたのは、この美禄を醸す責任者の加藤 均(かとう ひとし)取締役。杜氏としての役割だけでなく、精米所から醸造蔵まで、すべての工程を管理する卓抜した技術統括者でもあります。
「入社したのは昭和55年(1980)、今年で35年目です。60歳を迎えますが、酒造りは生涯にわたって修行の連続ですね。酒の神様を畏れ、敬う毎日です」
連続金賞の偉業すら口にせず、謙遜する加藤杜氏。開口一番、秋田酒類製造株式会社へ入社した25歳の頃、酒造りはズブの素人だったと聞いて耳を疑いました。
秋田県大仙市に生まれ育った加藤杜氏は、当時、秋田県醸造試験場の味噌・醤油の研究職員を目指していたそうです。しかし公務員の夢は叶わず、おりしも研究職員を求めていた高清水の門を叩いたのです。
ところが、酒造りは暗中模索の状態。理屈ではなく体で覚えるために、本社の千秋蔵で働く杜氏や蔵人の中に紛れ込み、手伝いをしながら技術を盗み見る毎日でした。
7年目を迎えた頃、淡麗辛口の吟醸酒ブームが訪れ、高清水の現場にも全自動精米機の導入が計画されます。加藤杜氏はそのテスト操業を担当し、いきなり御所野に建設する精米工場の設計も一任されました。
「とにかく専門知識がありませんから、業者の人たちや他社の情報を探って独学でやり遂げました。そして平成2年(1990)に完成した精米工場の責任者として出向、その5年後には吟醸向けの御所野蔵を建てるために、また設計を担当しました。こっちは、かなりキツかったですね(笑)」
精米工場はまだしも、酒造りの工程全体を設計するには、どこから手をつけるべきなのか。
またもや輾転反側。夜も眠れないひと月を過ごし、ようやく腹を決めて本社の千秋蔵を参考に設計図を描いたと、加藤杜氏は当時を振り返って苦笑いします。
粘り強く諦めない“けっぱれ魂”は、とことんやり尽くす平川社長と似ています。
そういえば、御二人とも同年齢の60歳。なるほど、息の合った名コンビのようです。
平成9年(1997)に竣工した御所野蔵は全自動制御の設備機器が多く、隣接する精米工場と兼ね合わせ、少数の蔵人が配属されました。スタッフは5人、しかも若い新人社員ばかりで平均年齢は25歳。彼らを指揮して孤軍奮闘する加藤杜氏に、さらなる試練が訪れます。
「その年の秋に、当時の社長から秋田県内の新酒鑑評会に出品するよう要請があって、恐る恐る大吟醸を出しました。結果は、惨憺たるものでした。しかし、最初はその程度でも、諦めずに努力を重ねるよう社長は励ましをくださった。この恩情に応えねばと、技術の修練や酒の吟味を全員で重ねました」
こうして平成13年(2001)、御所野蔵の出品酒は、全国新酒鑑評会で初めて金賞を受賞します。その頃から、徐々に得心したことがあると加藤杜氏は語ります。
「私は醸造に関するデータは持っていましたから、それを活かせばある程度、美味しい酒は造れると思っていました。でも、それは大きな間違いでした。味噌でも醤油でも、新しい蔵は3年経たなければ機能しないそうです。人的な能力不足で設備が上手く動かないだけじゃなく、目に見えない空気中の酵母や微生物などが蔵に馴染まず、発酵環境が整っていないためでした。いわゆる人が踏み込めない聖域が、まだ出来上がっていなかった。コンクリート製の御所野蔵は、人と環境作りに10年近くかかりましたね」
そのことが腑に落ちて以来、加藤杜氏の醸す酒は国内外ともに、幾多の受賞を獲得するようになっています。
さて、それでは精米工場と御所野蔵を案内して頂きながら、現状についてヒアリングします。林立しているのは、吟醸造りの蔵元が注目する新中野工業の醸造用精米機NFシリーズです。
「年間の精米量は、約5万俵。本社の蔵と御所野蔵の双方分をまかなっています。原料米は秋田酒こまち、美山錦、秋田こまちを中心に地産池消の米を優先していますが、当然、山田錦にもこだわります。吟醸蔵である御所野蔵では酒造好適米比率は7割を占め、平均精米歩合52%になっています」
ただ、その年の気候と収穫状況によって、冷夏であればモロミに溶けやすく、猛暑が続けば溶けにくくなるといった変化があるので、米の出来栄えによって磨きの精度を調整しているそうです。
おそらく今後の吟醸造りへのニーズを考えれば、平均精米歩合は50%を切るのではないかと加藤杜氏は予想しています。
そして、醸造用水は本社蔵で使用している地下水を、タンクローリーで毎週15トン運び込んでいます。超軟水の仕込み水で、長期低温発酵に適した天然水です。特に、スッキリとした飲みごこちと滑らかな旨味を持つ秋田酒こまちで醸す商品は、この軟らかな水が決め手になるそうです。
蔵の中に配された大型の醸造設備を見学しながら、少人数で三季醸造できる秘訣について訊ねてみました。その答えはスタッフの誰もが同じレベルの技術と知識を共有し、コンセンサスの取りやすい環境を整えることと加藤杜氏は答えます。
「仕込みが始まると、休日も関係なく社員2名と季節社員1名が現場に詰めています。ただ、彼らは常時同じシフトになりませんから、出麹、温度管理など、あ・うんの呼吸で引継ぎをしなければなりません。そこは、マニュアル通りにはいかないものですよ。人間も微生物と同じで、環境の適応に時間がかかるものです。しかし、当社は待ったなしのスピード勝負ですからね(笑)」
かつて御所野蔵を立ち上げた時、指導要領もルールもなく、試行錯誤を繰り返した労苦のおかげで現体制に至った。それでも加藤杜氏は、経験値が高くなるほど生き物相手の不安は増え、酒神の棲む蔵に対して畏敬の念を持つことが第一と言います。
「自然に逆らってはいけないのです。無理やり、我々の意志で傲慢に造ろうとすれば、必ず酒にしっぺ返しをされます。生き物との微妙なやり取りを社員同士で悩み、考え、掴むことも大切です」
インタビューの最後になって、加藤杜氏からの思いがけない“オモテナシ”を取材スタッフは頂きました。
それは、高清水の美酒を使ったアイスクリーム。なんと、加藤杜氏じきじきの手造りアイスです。時には、御所野蔵を訪れる顧客やゲストを高清水の吟醸酒と手料理でもてなすそうです。
「今年も、全国新酒鑑評会で金賞を頂きました。思えば35年前、醸造試験場に行かなかったからこそ高清水での現在があるわけですが、それは、これまでご支援を賜った数多のお客様や先達の方々の賜物です。その御恩返しと、酒の神様への感謝を込めて、私にできるオモテナシをしています」
紆余曲折と艱難辛苦を繰り返した若かりし頃を思い出し、加藤杜氏には口ずさむ唄があるそうです。
…… 知らず知らず 歩いて来た 細く長い この道。振り返れば 遥か遠く 故郷が見える ……
美空ひばりの“川の流れのように”が人生に重なり、目頭を熱くする歳になったとはにかむ加藤杜氏の傍には、全国新酒鑑評会 金賞の賞状と折り鶴が寄り添っていました。
聞けば奥様が折った鶴で、生涯、金賞を獲れる酒造りを目指せとハッパをかけられているそうです。
酒神へ畏まり、酒の命と語り合う加藤杜氏は、これからも高清水の美禄を醸し続けることでしょう。