プロローグ

秋田酒類製造株式会社

酒王国・秋田に、馥郁と薫る高清水の泉あり

酒王国・秋田に、馥郁と薫る高清水の泉あり

秋田県には、誰しも“ほのぼのとした、日本のふるさと”の印象を抱くそうです。
その理由は何かと探ってみると、今も昔も変わらない、秋田ならではのモチーフが浮かび上がってきます。「秋田杉」「きりたんぽ」「なまはげ」などは、都会人が忘れかけている「郷愁の心」を呼び覚まし、原風景を色濃く残している秋田を胸に描かせるようです。

では、秋田市がれっきとした城下町ということをご存知でしょうか。
かつて佐竹藩二十万石の根城であった千秋公園。ここは慶長7年(1602)に常陸国(現在の茨城県)から国替えとなった初代秋田蔵主・佐竹 義宣が翌年築城した、久保田城の跡です。
二の丸から本丸にかけては十二代蔵主・義堯の像、茶室や大手水鉢などが保存され、本丸北側の高台にある御隅櫓は、往時の見張り場と武器庫を担っていた建物です。これは秋田市制100周年記念事業として、平成元年(1989)に完成しました。館内には、佐竹氏ゆかりの品々が展示され、展望台からは市街を一望することができます。

また、園内は春の桜とツツジ、秋には紅葉の名所として知られ、市民に憩いと安らぎのひとときを提供しています。周囲には藩政時代を偲ばせる大濠が佇み、夏の朝には蓮の花がその水辺を彩って、仕事へ向かう市民の目を潤してくれるのです。
その美しく、柔らかな光景に“秋田美人”の言葉が思い浮かぶのは、筆者だけではないでしょう。

千秋公園
義堯の像
御隅櫓と紅葉

しかし秋田市からひとたび海辺の男鹿市に向かえば、そのイメージはたちどころに拭い去られてしまいます。
目前には、怒涛の砕け散る日本海。鉛色の冬のうねりは、見る者すべての胸に哀愁を呼び寄せることでしょう。ウミネコの声が寂寥とした光景の中に響いては、掻き消されています。男鹿半島に突き出たこの「入道崎」の岬に立てば、今しがたの千秋公園の憧憬からは想像もつかない、過酷な大自然を体験できるのです。
ちなみに半島の中央部に聳える山は「寒風山」の名で呼ばれ、まさにそれを地でいく風土が男鹿市にはあるのです。

ところで、この男鹿市の伝統的な奇習「なまはげ」こそ、日本の原風景の真骨頂と言って過言ではないでしょう。毎年の大晦日、雪の降りしきる男鹿の村々に二匹の鬼がやって来ます。それは男鹿の山に棲んでいたと伝わる暴れん坊の鬼で、各集落ごとに今もお面が存在しているのです。
家を訪れたなまはげは床が抜けんばかりに歩き回り、戸板を叩き、住民を威嚇します。

「ウォー!!泣ぐ子いねが!怠け者いねが!言うごど聞がね子ら、いねがぁ!親の面倒見の悪ぃ嫁はいねがぁ!」
凄まじい剣幕に子どもは当然泣きじゃくり「親の言うことを聞いて、勉強します」と、なまはげと約束を交わすわけです。
ITゲーム世代の現代っ子には鼻で笑うような儀式ですが、いつしかその迫力に圧倒され、なまはげの世界にどっぷりと引き込まれてしまいます。
この古き良き伝統文化を、地元の人々は千年以上も前から、代々にわたって守り継いできているのです。

男鹿半島の入道崎
奇習「なまはげ」

なまはげは日本酒が大好きで、儀式の間、家の主人から荒い気性をなだめられ、酒席を接待されます。そして最後の一盃を残して帰るのですが、それを家の人たちは無病息災の酒としてみんなで頂きます。
これは、秋田県では昔から酒が生活に根ざした存在であることの証でしょう。むろん、雪に閉ざされた北国だけに、暖を取るための必需品でもあったのです。
江戸時代、秋田藩は財政政策として酒造りを大いに奨励し、600軒以上の造り酒屋が藩内に存在していたと言われています。そして、多くの酒屋たちの美酒を作り出したのが、秋田杉の木桶でした。

杉桶で仕込んだ酒には「テルペン」と呼ばれる成分が溶け出し、爽やかな風味と香りが喜ばれます。このテルペンをふんだんに含んだ秋田の天然杉は、世界遺産となった白神山地から伐り出されるのです。
現在も秋田県内には天然杉を扱う老舗の桶屋が7、8軒ほど営み、見上げるほど巨大な仕込み桶から床の間を飾る可憐な花桶まで、匠の技を伝承しています。

秋田杉の桶
桶造りの匠

そして、その秋田の美酒を醸す水も、深い森林を持つ白神山地の恩恵であることは言うまでもありません。
白神山地は日本有数の広大なブナの森に覆われ、その土壌には雪解けの軟水がたっぷりと含まれます。この軟水を酒造りに使用することは非常に難しく、緻密な技術と長い醸造期間を必要とします。しかし、その水で仕上がった酒の味は、まさに秋田美人のごとく瑞々しく、つややかな光沢を放ってくれるのです。

今回訪問する蔵元・秋田酒類製造株式会社の銘酒「高清水」も、もちろん軟水仕込み。その銘は、市内の寺内大小路に今も滾々と湧き出る霊泉に由来しています。

この泉は、東北地方が蝦夷と呼ばれていた7世紀頃、征討将軍の阿倍 比羅夫が古四王神社をこの地に勧請した際、にわかに霊泉が湧いたので、ここを「高清水の岡」と称したと故事に伝わっています。
「高清水」と刻まれた石碑は、今日も小さな東屋(あずまや)に守られ、ひそやかに湧き出ているのです。

雪解け水が軟水に変わる
霊泉「高清水」

聖なる水と、肥沃な秋田の地で育った酒造好適米、そして秋田人の真心で醸した高清水には、やはり地産地消。秋田伝統のごちそうと楽しむべきでしょう。
男鹿沖で獲れるハタハタ、魚醤を使ったしょっつる鍋、燻製したいぶりがっこなど枚挙にいとまがないほどで、秋田の旅を楽しむ健啖家にはこたえられない酒の肴ばかり。とりわけ、しんしんと冷え込む冬の「きりたんぽ鍋」と高清水に勝るコンビはありません。
比内鶏と辛口の醤油で取ったコク旨たっぷりのダシに、キレのいい高清水を口にすれば、思わず「うんめっ!」と秋田人のようなお国訛りも飛び出しそうです。

秋田には、美肴がどっさり
きりたんぽ鍋には、高清水

秋田を代表する美酒「高清水」は、日本酒王国のプライドを矜持し続けてきました。
その澄んだ旨味と瑞々しい口当たりには、秋田ならではの温かみ、柔らかさ、そして素朴さが調和しているようだと日本酒ツウは口を揃えます。
そして今、日本酒ユーザーの新たな変化を迎え、次代の秋田酒を目指して高清水は革新を始めました。秋田酒類製造株式会社では、個性的な吟醸造りの美禄も矢継ぎ早に登場しています。
伝統ある高清水の物語と、新時代に挑む秋田酒類製造株式会社の魅力に酔いしれてみることにしましょう。

革新する、秋田酒類製造株式会社