飛騨一番の人気酒「奥飛騨」を醸す社長は、飛騨の神々も司る、やんごとなき人
現在、奥飛騨酒造は岐阜県下の蔵元約60社の中で、上位の製造量を誇ります。総製造量の8割が、日本酒で占められます。
ようやく日本酒復活の兆しは見えてきたものの、未だ低調な地方酒の市場。そんな中で、知られざるブランドから脱却し、ここ数年着実に成果を出してきた奥飛騨の理由を、十一代目蔵元の高木 千宏 代表取締役社長に訊ねてみました。
「そうですね。私は酒造りと無縁の育ちでしたし、商売人の家柄でもなかったことが幸いしたのかも知れません。経営に対する考え方が、従来の蔵元にありがちな慣習や姿勢とはちがったのでしょう。でも、御神酒(おみき)とは、ずっと御縁があったのですよ(笑)」
破顔一笑する、高木 社長。その答えに、蔵元の子息ではなくて婿に入った後継者と察し、問い直してみれば、やんごとなき家柄の出身であることが判りました。
「私の実家は飛騨市古川町にある“五社神社(ごしゃじんじゃ)”と申しまして、20社ほどを管理する神主の家系なのです。私の代で十九代目になりますが、兄が継承しております。奥飛騨酒造との縁組は、古川にある蔵元様からの紹介でした」
なるほど!どことなく格調高い面持ちと厳かでゆったりとした声音に、神官の血統がにじみ出ているようです。
高木 社長の実家・五社神社は飛騨地方の由緒ある古社で、高山祭りと並び知られる「古川祭り」などの大祭も司る家柄なのです。
高木社長は、昭和32年(1957)の生まれ。神主や禰宜を目指す人たちが多く学ぶ、皇學館大学を卒業後、26歳で高木家の先代・富蔵会長の令嬢と結婚。まずは酒造業の世界に入門すべく、大蔵省醸造試験場と岐阜県工業技術センターで研修を積み重ねました。
「思うのですが、“知らない者は強い”ですよね(笑)。商いも酒造りもまったくの素人でしたが、案外と不安は少なかったです。むしろ何でも吸収してやろう!試してみよう!やってやろう!という期待感の方が強かったですね」
まろやかな声で語る高木社長。その大らかな雰囲気も、奥飛騨の森羅万象とともに生きてきた神官の家柄にあるようです。
そして、30歳を迎えると同時に、代表取締役社長に就任しました。
「父(富蔵 会長)は株式会社ポッカコーポレーション代表として多忙でしたから、取引先を回るにしても常時“社長の代理”と申し上げるわけにいかず、それなら社長の立場に!ということになったのです」
若くして蔵元となった高木社長に、昔ながらのしきたりや習わしを重んじる業界重鎮クラスからの苦言や干渉が聞こえることもありましたが、そこにはいつもセールス経験豊かな中川 専務のサポートがあったそうです。
「入社した昭和58年(1983)頃、世間は吟醸酒ブーム真っ只中でしたが、当社ではようやく特別本醸造が誕生したぐらいでした。それまでは、ほとんど地元向けのレギュラー酒造りで、消費動向・市場変化に対応できていませんでした。東京の醸造試験場でもいろいろな美酒をきき酒して、こんな蔵元になりたいと憧れておりました。おりしも演歌の奥飛騨慕情が大ヒットしまして、“奥飛騨”を特別本醸造の商標として登録できたことから、ようやく吟醸酒造り・地酒ブームへの挑戦が始まったのです」
とは言うものの、技術的な課題は山済みで、特に酒米・山田錦の入手はなすすべのない状況。全国新酒鑑評会の出品酒も、地元の好適米「ひだほまれ」「はつしも」などで仕込むのがやっとのことでした。
近年は山田錦の酒で全国新酒鑑評会金賞を連続受賞していますが、そこに至る20年間を高木社長は臍を噛む思いで暗中模索しながら、“こだわりの酒造り”をテーマに歩んできたのです。
それでは、奥飛騨酒造の理念や経営観、最近つとに人気の銘酒「奥飛騨」について、語ってもらいましょう。
「当社の理念は、“お客様に、より一層の快適で健康的な生活を送って頂くために社会に貢献する夢のある企業となる”としています。つまりは、まずは“お客様から愛される酒造り”が、モットーですね。今や酒造メーカーが美味しい酒を造るのは当然ですし、技術的に格段の差がある時代でもありません。また、食品でもあるので、社会のルールやモラル、秩序はきちんと守り、情報を開示する必要があります。ですから、良い酒を造って売るだけの仕事ではなく、その良い酒で、お客様を幸せにできる仕事をする。そうすることでお客様から愛され、自分たちも幸せになれるのです」
この理念も含め、高木社長は常に5年先のビジョンを描きながら、経営者としての方針を社員に分かりやすく伝えています。そして「門外漢だった自分がここまで来れたのは、常に夢を持ってチャレンジしたからだ」と熱く語るそうです。
奥飛騨酒造のバックボーンは、高い品質管理と製造技術です。4年前に南部出身の畠山 勝美 杜氏が入り、銘酒・奥飛騨の酒質はぐっと研ぎ澄まされたと高木社長は頬をゆるめます。
ここ数年続いている全国新酒鑑評会の金賞受賞も、その成果でしょう。仔細な造りのことは杜氏に訊ねるとして、好調なセールスの秘訣を教えてもらいましょう。
「今やアルコールの購買時点は、百貨店、スーパーマーケット、コンビニ、酒販店など、お客様の生活スタイルによってさまざまです。
ですから、すべての場所において同じ価格、同じ品質、同じ条件で商品を提供し、安心して買って頂けることが、“お客様から愛される酒の基本”だと思うのです。確かに酒販店でのチラシの値引き合戦は、ごく当たり前のやり方でしょうが、当社の商品にはお断りです。
この価値観を理解してもらず、値引き主義を掲げる販売店様や料飲店様とはお取り引きをいたしません。でも誠心誠意お話しすれば、ほとんどの皆様が納得して下さるんですよ。お蔭様で、当社の酒は中京地区ならどこでもお求め頂けるほど、売り場が広がりました」
高木社長の掲げる同一条件主義は、従来の酒販業態にすれば強気の姿勢と受け取るでしょう。しかし、その真意には、最終消費者であるお客様、生活者に平等に喜んでもらおうとする心が込められているのです。
「最高の品質に、これを積み重ねていくことで、当社のブランドイメージも高まると思うのです」
今の高木社長の胸には、得意先とネンゴロになるだけの旧態然とした蔵元主義とは、ひと味もふた味も異なる哲学があるようです。
現在の奥飛騨酒造のシェアは、関東方面10%、関西方面10%、シンガポールなどの輸出が数%で、80%近くは東海・中部と地元市場への注力が明らかです。前述の中京地区での販売ネットワーク拡大もその現われでしょう。昨年開港した中部国際空港セントレアの売り場も、一番乗りでした。
そこには、どのような戦略があるのでしょうか。
「10年前までは東京の得意先へ頻繁に足を運んでいたのですが、徐々に地元志向にシフトしています。どちらの地方の蔵元も、地酒ブームが去り都会圏のシェアが急に落ち込んだ時に、必然的に地元に目が向いたわけですが、一気加勢に県外を攻めていたメーカーは、舵を戻しにくかったと思います。その点、当社も含めて飛騨の蔵元は観光地にあるので県外志向は割合と低かったのです。現在創業している13社は結束が固くて、情報交換も多く、商品や品質についてもお互いに切磋琢磨し合っている間柄なのですよ。ですから、飛騨の酒は、岐阜の中でもレベルが高いと思います。その意見交換・ディスカッション場で、改めて自分たちの造る酒や仕事の価値観、蔵元としての意義を真剣に見つめ直しておりました。そうすると、地元に愛され育てて頂いたことへの感謝が、どこか薄れていたようにも思えたのです。そこで、地元密着型チャネルと申しますか、さまざまな町おこしも企画した販促戦略を推進しています」
例えば、金山地区で開催されたJR東海主催の「さわやかウォーキング」では、金山の錦繍を愛でながら地酒を味わってもらおうと、街道を行く人たちに店頭での試飲販売を開催。このイベントには、年配の方や家族連れなど1,300人を超える参加者があり、飛騨の米で造った銘酒・奥飛騨を存分に楽しんだそうです。
ちなみに、大社の神主の身分を見込まれて、毎年の「金山祭り」では神官姿で大活躍!地元に愛される奥飛騨ブランドに、ひと役かっています。
そして、そんな高木社長を内助の功で支えるのが、美賀子夫人。蔵元の血筋を引く妻として、地元・金山町の方々とのコミュニケーションを密にしながら、日本酒の伝統・文化の普及に深い造詣を抱いています。
また、商品のキャンペーンや企画などにも、女性らしい素敵なアイデアを生かしてます。
それでは、今後のテーマと新たなチャレンジなどを訊きながら、インタビューを終えることとしましょう。
「本物志向の時代に真のブランド作りを追求するならば、お客様の顔がきちんと見える“フェイスtoフェイス”の企業姿勢を持たねばいけないこと。例えば、現在、当社の商品ラベルはすべてに電話番号が明記してあり、24時間お客様からの声に対応できるシステムにしています。そして、もっとお客様の幸せと暮らしを考える構造や社風が、これからの酒造メーカーには必要だと思うのです。現状の中で、さらに新しい価値観を持つ、お客様を幸せにできる商品を生み出すことですね。そのためには、単なるブームや風潮に右往左往せず、自分たちの酒屋イズムとコンセプトを確立した酒造りを続けていくことだと思います。」
そして、高木社長が目下計画しているのが、瓶火入れと山廃仕込みによる普通酒。
筆者は「上撰奥飛騨」の燗酒にぞっこんですが、それに磨きをかけるべく、高木社長 は手間のかかる瓶火入れや発酵管理の難しい山廃仕込みで、普通酒を造ろうとしています。
「そろそろ焼酎が落ち着いてきましたから、日本酒に帰ってくる方たちを迎えるためにも、美味しい普通酒が必要ですよ。瓶火入れにすると、味わいが格段に違いますね。カプロン酸の臭いが消え、燗した時のまろやかさとコクが絶妙のバランスです。そんな美味しい酒の一升瓶が低価格で買えるならば、まさに“お客様に、より一層の快適で健康的な生活を送って頂く”ことができるはずです。実は、私が一番飲みたいのですけど(笑)」
笑顔で語る高木社長から、そんな発想で作ってみたのですよと、筆者は爽やかな水色の小箱を手渡されました。それは、いかにも肌に優しげな「吟醸酒粕石鹸」。発売と同時に大好評!メディアにも取り上げられた、こだわりの美肌石鹸でした。
飲む人に心と体の幸せを提供する銘酒・奥飛騨……それを醸す、奥飛騨の幸せを司る神主……この不思議なえにしは、ひょっとしたら酒の神の思し召しかも知れません。