「泣き落とし? それって卑怯よね。まあ、私には通用しないけどさ」
目を真っ赤に泣き腫らしている部下の女性に、島崎理恵の冷たい言葉が投げられた。マチコの男客たちは、どきまぎしている。
一年ぶりというのに相変わらずだなと、真知子は溜め息をついた。酔いが回ると、頬杖を突いて流し目する理恵の癖も、そのままだった。
理恵と席を並べて商社勤務をしている頃、真知子はいつも部下のなぐさめ役だった。
「自分ができたことは、部下にも絶対できるまでやらせる。それが私流の教育よ」
完璧主義でキャリアを自負する理恵は、真知子の指導を甘すぎると非難した。だが、そんな彼女を慕う部下は少なく、男性社員も煙たがった。
つい最近、初の女性課長のポストを射止めた理恵は、その地位をひけらかすように、部下を連れてマチコにやって来たのだった。
これ見よがしな理恵の糾問に、若い部下の女性は耐えられず、帰って行った。
「ふんっ! これだから最近の子はダメなのよ。真知子の教育が悪かったんじゃないの」
いささかの絡み酒になっている理恵に、横合いから声がかかった。
「あんたなあ。あんな若い娘にそないにポンポン言うたかて、あかんわ。 もの事には、順番ちゅうもんがあんねん」
忘れた頃にひょっこり大阪からやって来る、常連の津田だった。薄禿げ頭にノーネクタイの格好は、いつも通りのものだった。
「なにさ!何で、こんなオヤジに説教されなきゃいけないのよ。私はプロよ。私の指導に間違いはないの!」
「ちょっと、理恵。止めなさいよ」
とがめる真知子の声も無視して、理恵は鼻息を荒げた。
「そんな恐い顔しなや。べっぴんさんが台無しやで、お姉ちゃん。あのな、人間には器ちゅうのがおまんねん。みんなそれぞれ、大きさも色もかたちも、ちゃうねん。あんたは、それを分かってないわ」
ほろ酔いの津田は理恵から徳利を奪うと、カウンターにあったぐい呑みをズラリと並べた。
長細い久谷焼、胴の太い会津塗り、平たい伊万里焼き……。すべてに酒を注ぐと、津田は口を開いた。
「どや、分かるか? 入る酒の量は違うけど、みんな、それなりにキレイで、味があるやろ。あんたは量 ばっかり見てる。もっと、それぞれのええ所を見たらなあかんのちゃうか」
答えを失った理恵は、苦しまぎれに毒づいた。
「あんたみたいな落ちコボレに、何が分かるのよ!私は男に負けずにやって来たのよ。仕事もお酒も、遊びだって、何でも!! だから……」
「ほんで、どうなんねん?みんな最期に行くとこは同じや。気がついたら自分の器がどんな形で、どんな魅力があんのか、分からんままで終わってまうで。ほんまのあんたに似合うのは、これや。ほれ!」
津田は、清楚な白磁の盃を選んだ。
ほんのりとした色合いと、少しいびつな形ながらも、凛とした美しさを浮かべていた。
押し黙る理恵の瞳から、一筋光るものがこぼれた。
「あの子。まだ駅までは、行ってないわよ」
そう言った真知子のふくよかな手が、白磁の盃に、もうひとつ、水色のグラスを添えていた。
二人の会話には素知らぬ顔で、津田が大きなあくびをした。