越後流とブレンド技術で、次代の銀盤イズムを醸す
澄みわたる旨味と上品な余韻を引く、淡麗辛口の銀盤。料理とのペアリングに万能な味わいは、かつて地酒ブームを席巻させた越後杜氏流がなせる技で、その美味しさを半世紀にわたって醸し続けてきているのが、荻野 久雄(おぎの ひさお)酒造部部長 兼 杜氏です。
なんと取材した当日が本人の入社記念日で、荻野杜氏は昭和43年(1968)から銀盤酒造一筋の生え抜き社員でした。
「今年、69歳を迎えます。入社2年目の時に、蔵元から東京の滝野川醸造試験場での研修を命じられたのがこの道の始まりです。始めは焼酎を学ぶはずが、ひょんなことから蔵元と昵懇だった清酒の教授に引っ張られまして、とりわけ酒造りに欠かせない水の勉強に没頭しました」
研修から帰社すると、越後流の造り手として全国に名の知れた杜氏から薫陶を受け、その後、副杜氏を務めるまで腕を磨きながら、一方で、蔵元が推進する工程の自動化にも注力しました。ただ、IT設備を整えることによって、機械に使われる酒造りに傾いてはいけないと荻野杜氏は肝に銘じたそうです。その理由は、麹にしろモロミにしろ1+1=2ではなく、想定通りにいかない世界で、どんな状況になろうとも、臨機応変な手入れや修正ができる人間の技があってこそ、装置は生かせるのだと断言します。
さっそく、水に詳しい荻野杜氏に、銀盤の醸造用水について訊いてみましょう。
「黒部川扇状地から湧き出す軟水を使用していますので、まさに酒造りに最適。井戸は3本あり、主には蔵の真横にある井戸から無味無臭の天然水を汲み上げて、仕込み水として取り入れています」
さすが黒部は名水の町と納得したところ、意外なエピソードが荻野杜氏の口から発せられました。
「黒部の町の道路には、冬場対策に融雪装置が設けられていますが、これが生活用水として使われている湧き水に影響してしまうのです。それに、最近は高速道路や新幹線の敷設工事でも土地を掘削していますので、当社の水脈が傷つかないかと気が気ではありません」
デリケートな水質であるがゆえに、対策として2本の井戸の水質検査は毎年欠かせないと言います。
さらに近年は山麓の降雪量が安定しておらず、秋の仕込みシーズンにかけて井戸の水量が減少しないかと荻野杜氏は懸念しています。
原料米へのこだわりも銀盤酒造の強みですが、山田錦や雄町だけでなく、地元産の酒造好適米への取り組みはどうでしょう。
「吟醸酒向けの富山県産米といえば五百万石と雄山錦が著名ですが、後者は扱いにくいので、山田錦と雄山錦を掛け合わせた品種“富の香(とみのかおり)”を導入しました。代表的な商品としては“越中50”という純米吟醸になります。富の香はやや硬い米でして、旨味を醸すのが難しいですね。山田錦の酒に比べれば、キレと味わいは滑らかです」
平成8年(1996)に開発されて以後、富山県内の多くの蔵元は富の香を使用。兵庫県産の山田錦が手に入りにくいのも理由の一つだそうです。その他の酒造好適米にも共通しますが、銀盤酒造では麹米と掛米を全量同一品種で仕込むと荻野杜氏は胸を張ります。
モロミ造りについては、酒質のテイスティングに繊細な気配りを持っていると荻野杜氏は語ります。
IT制御の自動設備を利用した量産体制ゆえに、タンクの中のモロミの状態を目で感じ取る方法が難しい環境。杜氏言葉では「モロミの面(つら)が、見えにくい」のです。一度に米6トン~10トンを醸すことのできる大仕込みのタンクは底が深い構造で、巨大なスクリュー型の櫂を回転させてモロミの発酵を促します。したがって、その成長具合を確かめるには、幾度も舌でテイスティングすることが必須なのです。
「おかげで、私の歯はモロミの酸によって、ずいぶんと傷んでいます(笑)。でも、その所作を長年繰り返してきたことで、ブレンダーとしての判定能力も向上しました。お客様に好まれる商品にするためブレンド調合するのは、当社のような量産型の蔵元には大事だと思います」
確かに、巨大なタンクで造る銀盤の酒は、いったん仕上がれば、味の調整は至難の業。数本のタンクから調合によって各銘酒へ変えるため、寸分狂いのない味と品質になるよう五感を研ぎ澄ませるわけです。ニコリとほほ笑む荻野杜氏の口元に覗く白い歯は、幾分、すり減っている気がしました。
最後に、いぶし銀のような荻野杜氏から、これから銀盤の美酒を受け継いでいく若い蔵人たちへの期待をうかがって、インタヴューを締めくくりたいと思います。
「天候や環境の変化によっても、酒の味は変わります。人智の及ばない世界から、酒の神様が下りてくるわけです。それを受け入れた蔵人が、IT設備という道具を使って仕事をしているだけです。つまり、いつも酒の神様と語り、教えを乞う姿勢と心を持ち続けて欲しいですね」
新たな銀盤酒造には、きっと荻野杜氏が培ってきた不易流行な越後流の酒造りとブレンド技術が生かされることでしょう。