立山連峰の銀嶺が恵む黒部の町に、名水の美禄が甦る
雲間から降り注ぐ光芒に白銀の輝きがまばゆい、日本アルプス“立山連峰”の稜線。春の訪れとともに、富山県の山麓を閉ざしていた深い雪は解け出し、山肌へ染みわたります。そして、100年をかけて地層をめぐって清冽な地下水へ生まれ変わり、ここ黒部市のそこかしこに湧き出しているのです。立山連峰の直下に位置する黒部市は、「扇状地(せんじょうち)」と呼ばれ、黒部川の勾配がゆるむと流水の運搬力が急減するため、上流から流れて来た砂礫 (されき) が堆積してできる土地形状。悠久の昔から、3000m級の峰々が連なる立山から発した黒部川が膨大な雪解け水と岩石を流し続けてきたことで、黒部の町は形成されたわけです。
町に入れば一級河川として滔々たる流れをかがよわせる黒部川の河原は、丸まったゴロタ石に埋もれていますが、上流に遡るほど峻険な黒部峡谷を刻みながら流れ下ります。古くは江戸期から昭和初期まで、一気に下った水が頻繁に大洪水を引き起こすため「暴れ川」の悪評も高く、防災対策と水量の効率的な利用を目的として、昭和38年(1963)に、世界屈指の黒部ダムが完成したのです。日本アルプスの雪解け水を満々と湛える黒部ダムの威容だけでなく、7年間を費やした壮大な工事物資の運搬ルートも、今では登山者や観光客がめぐるツアーコースに変貌し、名湯の宇奈月温泉や黒部峡谷をめぐるトロッコ列車とともに外国人旅行者にも人気です。
近年、多くの観光客が富山県を訪れるようになったのは、平成27年(2015)の北陸新幹線開通の成果でしょう。前年度に比べて17.5%増加し、黒部立山アルペンルートには年間100万人が訪れています。東京から2時間半で“黒部宇奈月温泉”駅に到着すれば、ホームからは、南に白い立山連峰、北には青い日本海と、美しい色彩のコントラストに目を奪われます。
そして、市の中心地である生地(いくじ)の街並みをそぞろ歩けば、行政が看板に掲げている“名水の里 黒部”を実感することでしょう。ありふれた用水路を流れるせせらぎの透明度はもちろん、清水(しょうず)と呼ばれる湧き水が生地のあちこちで清らかに自噴しています。この湧水群を黒部の人々は昔から飲み水、炊事、洗濯などに利用し、現在、約750か所の自噴井戸が確認され、暮らしを潤す命の水と言っても過言ではありません。水温は1年を通じてほぼ11℃前後、適度なミネラルを含んだ美味しい水として、旅行者にも注目されているのです。
ちなみに、今回の取材蔵元「銀盤酒造株式会社」の近くにも、「箱根清水(はこねしょうず)」が湧き出し、地元だけでなく遠方からも汲み水にやって来るそうです。水源の由来は北陸街道ができたのは江戸時代の寛文2年(1662)頃と伝わり、銀盤酒造のある長屋の地の入口には七本の松が聳え、旅人たちは松林の陰に休息すると、清水で喉を潤し、疲れを癒したそうです。この名水と同じ水脈を使い、1世紀を越えて仕込まれてきたのが銀盤酒造の美酒なのです。
ところで、立山連峰がもたらす雪解け水の恩恵は、富山県が誇る稲作だけでなく、様々な地元産業に見て取れます。まずは漁業、黒部川のほか幾多の河川が流れ込む富山湾は「天然の生け簀」と呼ばれ、春は入善港のホタルイカ、夏は岩瀬港の白エビ、秋は魚津港のベニズワイ蟹、冬は氷見港の寒ブリといった旬の味覚を筆頭に、海産物の宝庫として首都圏、中京、関西から健啖家が押し寄せ、和食ブームが盛り上がっている海外からの取引注文も増えています。
手つかずの自然豊かな立山連峰から下る富山湾へ注ぐ水には、滋養分がたっぷりと含まれ、濃厚な植物性プランクトンが魚介類を呼び寄せ、大きく育みます。余談ながら、鮮度も旨味も抜群なキトキト魚が年中楽しめる土地柄とくれば、それに合う銀盤酒造の酒はキレと旨味のバランスが絶妙にちがいありません。
さらに、金属産業にも名水は貢献しています。世界に誇るアルミニウム企業「YKK吉田工業」など、黒部市には金属メーカーが軒を連ね、工場で膨大な水を使用しています。各メーカーは純度の高い上質な水を必要とするため、黒部市に目を付けたと噂に聞こえています。
水と暮らし、水を愛し、水に恵まれる黒部の町。絶えることなく土地を潤してきた湧き水は、神が恵むしずく酒に姿を変えて、人々の心も酔わせてきました。そして、100年を超えて酒造りを司ってきた蔵元「銀盤酒造株式会社」は、今一度、名水の力を戴きながら再生を図り、新たな美禄を醸し始めました。
日本アルプスの森羅万象が与えた清水に生まれし、銘酒「銀盤」。その甦りの物語をひも解いてみましょう。