八面六臂の異才を放つ蔵主の名言、「我が人生は土佐鶴なり」
全国新酒鑑評会金賞(共催/独立行政法人酒類総合研究所・日本酒造組合中央会)の最多記録を更新し続ける、土佐鶴酒造。平成5年(1993)頃には高知県市場の6割を占め、販売量も40,000石に達し、四国の雄たる名蔵元の地位に至りました。
また、海外でも25年前にパリの老舗デリカ「FAUCHON(フォション)」で販売が始まり、その後は日本食ブームとあいまって、スッキリした味わいが人気を博しています。ここ数年は、ロンドンマーケットも急成長しているとか。
これらの輝かしい軌跡は、現社長・十代目の廣松 久穰(ひろまつ ひさみつ)氏の功績と言えましょう。
しかし、残念ながら今回の取材では、多忙を極める廣松 社長との面会が叶いませんでした。そこで、御子息で十一代目となる専務取締役社長室長 廣松 慶久(ひろまつ よしひさ)氏、社長から全幅の信頼を与かる常務取締役総務部長 兼 品質管理室長の杉本 芳範(すぎもと よしのり)氏のインタビューから、その人となりや魅力に迫ってみることとします。
久穰 社長は、昭和15年(1940)生まれ。慶応義塾大学を卒業、大手酒造メーカーの東洋醸造株式会社に勤めた後、昭和39年(1964)土佐鶴酒造株式会社の取締役に就任しました。
「とにかく家庭で社長(父)の顔を見る日は少なかったですね。仕事一徹と申しますか、酒造りの現場から営業、販売促進までとことん没頭していました。なかでも広告については社長ならではの哲学がありまして、宣伝力へのこだわりは当時の酒造メーカーの中でも突出していたようです」
開口一番そう語ってくれたのは、慶久 専務。現在、彼は土佐鶴酒造のテレビCMや販促を展開する“H・A・A(廣松アドエージェンシー)”の代表も兼務しています。
「特にテレビCMは、社長本人が終始一貫して検討を重ねています。試写段階では徹底的に見直します。オンエアされてからも毎日チェックし、一見して気付かない部分まで修正します。『CMはドラマや映画とちがって、目にする回数が多い。だから少しでも違和感があったり、曖昧な点を残してはならない。見て下さるお客様の気持ちを大切にすることが、土佐鶴への信頼につながる』と厳しく指摘されます」
少年期から映像に興味のあった慶久 専務は、大学卒業後、広告プロダクションを経てH・A・Aを設立。すでにこの道8年目を迎えていますが、眼を皿のようにして編集しても、久穰 社長の洞察力と観察眼には太刀打ちできないそうです。
「昭和40年代に入ってから、久穰 社長は増益があればマスコミ広告に投資したそうです。 その頃、大々的な広告プロデュースを試みる酒造メーカーは、灘の大手のほかでは極めて少なかったですね。しかし、久穰 社長は『最高の日本酒を造っているのだから、それを正しく広くお客様に伝えれば、必ず売れるはずだ』と確信していたそうです。清酒ブームの到来、テレビ放送の普及に“機を見るに敏”な社長の才が合致したのだと思います」
杉本 常務の談によれば、当時は立証性に乏しいテレビCMを心配する社員もいましたが、“土佐の日本酒”と“好印象CM”の相乗効果によって驚異的な躍進が始まり、不安は杞憂に過ぎ去ったそうです。
聴けば聴くほど、久穰 社長は揺るぎない信念の持ち主のようです。蔵元として一点の曇りもない人間像を感じますが、それはやはり、天性の才能なのでしょうか。
「社長は、『日々の経験と努力、それに勝る才能は無い』と言います。余談ですが、社長がある方から『ご趣味は何ですか?』と訊ねられ、『趣味はありません。あえて申せば、土佐鶴です』と答えたそうです。寝ても醒めても、土佐鶴に惚れ込んでいるのでしょうね」
そう名言を披露してくれた杉本 常務の笑顔こそ、久穰 社長に惚れ込んでいる気持ちをひしひしと伝えてきます。
筆者は土佐鶴酒造で言葉を交わした人たちに、久穰 社長への忠誠心を見る思いでした。
その理由を二人に訊ねてみますと、同じような敬愛の念が重なります。
「まずは『人の気持ちを大切にすること』と、そのために『自分には、常に厳しくあること』を実践しているところです。『気持ちを配って、誠意を尽くしてこそ、相手からの信頼が生まれる。それが自分に返されることで、さらに心を磨いていける』と諭されます。二つ目は、自分が成すべき仕事と人に任せる仕事を、明確に判断しているところです。任せると言えば、とことん口出ししません。そして、私たちの意見にはじっくりと耳を傾け、検討してくれます。
当社の千寿蔵・天平蔵の設計についても、すべて池田総杜氏長に一任しました。あくまで酒造りの頭領を信頼し、ゆだねたわけです。そして三つ目は、自ら革新と挑戦の先頭に立ってきたことでしょう。先ほどの広告宣伝に限らず、品質向上への修練は社長のリーダーシップのもと、全社員が必然の勤めにしています。例えば、当社の製造部では毎朝始業前に“?き水”をします。本社や北大野など7本ほどの井戸水を“冷や”と“沸かし”で?いて、成分分析や香り、味を検査します」
その杉本 常務の言葉を受けて、慶久 専務が、つい最近の出来事を語ってくれました。
「先日、社長と“?き水”をしたのですが、一口で見抜いてしまうのです。私は何回か?かないと分かりませんでした。それも『修練の成果』と社長は言います。息子ながら思うのですが、何事も先んじて体得すると申しますか、本当に凄い人だと思います」
話題の尽きない、久穰 社長の魅力。これまで数々の蔵元を訪ねてきた筆者ですが、土佐鶴酒造の全社一丸となった志、社長への信奉には胸が熱くなります。その企業精神は、土佐独特の“南海人の気質”が作り出しているのでしょうか。
いつか直接、久穰 社長へインタビューしてみたいものです。その千載一遇のチャンスまで、この感動は温めておくことにしましょう。
さて、久穰 社長だけでなく、土佐鶴酒造には魅力的な商品が揃っています。
今回、取材スタッフを唸らせ、その後も愛飲しているのが、海洋深層水で仕込まれた吟醸酒“azure(アジュール)”。淡麗な味わいだけでなく、シンプルなブルーボトルが新鮮さとトレンド感を醸し出しています。価格もお手頃とあって、いわば「現代の食卓にふさわしい、本物の日本酒」でしょう。
従来の日本酒ユーザー層を一新するかのような印象ながら、品質はあくまで“一級品の吟醸酒”なのです。実は、筆者の友人の女性たちにも、このazure(アジュール)が話題となっています。
そんな新しい土佐鶴テイストも含め、将来は土佐鶴十一代目となる慶久 専務に、次代に向けてのファーストステップを訊ねてみました。
「まずは入り口の整理と申しますか、現代の日本人のライススタイルの中に日本酒がどう存在しているのかを、改めて検証しなければいけません。日本酒業界は、これまで免許制度下にありました。国に護られてきたということは、翻せば競争社会としては閉鎖的であったわけです。ですから、最近のように販売が自由化されると、市場がどう変化するのかを感じ取ることが重要ですね。今後はますます嗜好が多様化し、日本酒も食品と同じ存在になるでしょう。それなのに、例えば二十歳代の方々が日本酒に興味とか関心を寄せる機会は、皆無に近いと思うのです。カップルで外食をしても、財布の中身と相談すれば大吟醸は敬遠するでしょうし、若い夫婦がダイニングテーブルでよっこらしょと一升瓶を持ち上げて飲むのは、スマートじゃないですよね。ですから、消費者ごとの生活をキチンと把握して、それぞれに最適な日本酒シーン、スタイルのようなものを考えていかなければと思います」
慶久 専務は、日本酒全盛期の昭和40年から50年頃、消費者には選択肢が少なかったと解説します。つまりは、売り手市場であったために、テレビCMのプッシュで土佐鶴ブランドを一気に差別化できたと読んでいます。
しかし、世はまさに買い手優先であり、高品質・適正価格の時代。その中でも、新製品が次々に登場しては消え失せています。将来はどんな日本酒マーケットに変化するのか、土佐鶴の品質追求、商品リリースに合わせて、広告スペシャリストとしての慶久専務のプロデュース力にも期待がかかります。
「酒造業では新人ですので」と、インタビューの最後まで謙遜する慶久 専務でしたが、彼の沈着冷静な分析に“必ずや次代の日本酒業界を牽引する大器になる”と、蔵元・廣松家のチャレンジスピリッツを筆者は感じるのでした。
※記事中の金賞受賞年度、受賞回数、役職等は取材当時のものです。