世界視野の日本酒を「備前雄町」で醸す、純米主義の蔵元
純米大吟醸「備前雄町」は、極上の純米酒として全国の日本酒ファンが垂涎の的にしている一献。その大きな理由に、温暖な瀬戸内の気候と豊かな自然を持つ岡山県で造られる酒造好適米“備前雄町”を使用していることが挙げられる。
玉乃光酒造は、戦後に途絶していた雄町米の酒造りのみならず、稲作の普及、篤農家との交流などに長年心血を注いできた。
「日本酒の基礎が確立されてから戦前まで約1000年の間、原料は米だけでした。古来の日本酒のおいしさを市場に届ける為に、1964年、玉乃光は業界に先駆けて純米酒を発売し、以来一貫して純米酒の普及と市場造りに努力しております。」
と語る、丸山 恒生(つねお)代表取締役社長。
丸山社長は昭和27年(1952)玉乃光酒造が再び産声をあげた年に、兵庫県で誕生。
京都大学法学部を卒業後、商社マンとして日本の物流を学び、ご実家でもある先染織物業界へと戻る。
先染織物業界では、『時代は変わるものだが、変わらないものがある』というモノ作りの理念を掲げ、"第1回ものづくり日本大賞 内閣総理大臣賞"を受賞。
そんな丸山社長が玉乃光酒造に入社したのは平成20年。
現会長であり、義理の父でもある福時氏より、会社経営への参画を要請された。
「異なる業界からの転身ですので、業界の方々のご指導をいただきながら、違った視点で酒造会社の経営に取り組むことも必要ではないかと考えております。」
そう語る丸山社長の目には、先染織物・日本酒と造るものは違えど、『特別なものに触れたときの昂揚感、喜び、驚き、愛おしさ、そんな純粋な気持ちを変わらず伝えたい』というモノ作りの真髄が見える。
それでは、玉乃光酒造の企業理念について具体的にお話を伺いましょう。
「弊社では『日本酒は純米酒でなければならない』と考えております。先ほども少しお話しましたが、先の大戦中に国家統制によりアルコール添加が義務付けられるまで、元来日本酒の原料は米だけでした。戦中戦後に物資不足が続き三増酒・金魚酒と呼ばれる酒が作られるようになり、本来の日本酒の味・米の酒というものが薄れてしまいました。そのことが日本酒離れを引き起こし、現在へ結びついているものと思います。弊社では、1964年の『純米吟醸 玉乃光』をはじめとし、純米酒の普及と市場造りに一貫して努力してきました。」
なるほど、本来日本酒は米のみを原料としたお酒=純米酒であった。
「戦後途絶していた岡山の最高級酒造好適米である雄町米の復活をサポートするために、ひたすらおいしい純米酒造りにこだわってまいりました。純米大吟醸酒『備前雄町』は今年で発売後30年を迎えます。この商品を通じて、『よい酒米から、うまい酒』をモットーにしている弊社の酒造りをアピールし、純米酒の活性化つなげていきたいと考えております。」
米のみから造られる酒の味は、酒米の味によって決まる、おいしい純米酒を造るのであれば、おいしい酒米を造るところから。純米主義を貫く玉乃光酒造らしさを、実感させられる。
昨今、日本酒消費量は低迷し、若者といわず中年層をも含む日本酒離れが叫ばれていますが、最後に丸山社長にこの辺についてどのようにお考えか、お話を伺った。
「最近の日本酒離れは、本来の日本酒のおいしさを伝えきれない事に起因している、と考えています。 ”米の旨み”と”酸味”のバランスの取れた味わいや、外食・内食を問わず、”食事と一緒にいただいたとき”のおいしさ、こういったものを業界を挙げて地道に啓蒙していくことが必要不可欠であると思います。こうした活動を弊社では海外市場にも生かしており、”体にやさしい日本食”が認知され、普及するのに伴って日本食との共生を図っていくことで、海外市場の開拓を進めております。ひいては、それが国内も含めて日本酒の復権につながるのでは、と考えています。」
会社経営には、古きよきものと新しきものをバランスよく取り入れながら、酒造りでは古来から続く純米酒のため、ひたすら米にこだわる。そして海外を含めた”体にやさしい日本食”との共生を考える。
その思いを熱く語る丸山社長のインタビューを終え、薫陶の余韻に浸りつつ傾けた玉乃光の一杯……その純米酒の美味しさに、惚れ惚れとしてしまうのは、筆者だけではないだろう。