名水に導かれ、名水に育まれし、伏見の薫酒「英勲」の精神
齊藤酒造株式会社は、明治28年(1895)の創業。と聞けば、伏見の酒蔵にしてはさほど古くはないのかと勘繰ってしまいがちですが、さにあらず。
現在の伏見には、大正期や昭和の戦後に移入した蔵元が多いのですが、齊藤酒造の遠祖は、元禄時代(1600年代末)に大坂・泉州よりこの地へ移住しています。
その人物の名は「井筒屋伊兵衛」。呉服商として商いを始め、この人物の名は齊藤酒造の美酒の銘にもなっています。
当時の泉州と言えば、堺の町が思い浮かびます。そこは天下の台所・大坂を支える港町。江戸に送る物資や南蛮渡来の貿易品に溢れかえっていました。その中には、呉服もあったはずです。
江戸への参勤交代が始まり大名たちが栄華を楽しんだ元禄時代、庶民の中にも贅を尽くす豪商たちが生まれ、西陣の正絹など京都の高級呉服が江戸に運ばれます。江戸市中では呉服商がやたらと生まれた時代で、かの越後屋(三越)が生まれたのもこの頃でした。
井筒屋伊兵衛は呉服屋という口伝ですから、仮説を立てれば、泉州の呉服商だった彼が伏見の町へ出た理由は、他人より先んじて、江戸へ送る上質の京呉服を買い抑えることができたからではないでしょうか。
また当時の京都や伏見の川では、清冽な水を使った“友禅流し”も行われていましたから、呉服屋の伊兵衛にとっては羨望の町だったはずです。
「しかし、慶応4年(1868)の正月に鳥羽伏見の戦いが勃発しまして、井筒屋の店舗はことごとく焼け落ちてしまったのです。そして、追い討ちをかけるように、今度は鉄道の敷設によって人の流れが大きく変化してしまいます。当時、早くに祖父も父も亡くし、九代目として、先代に代わって当主となっていた齊藤 宗太郎は、社会基盤の激変による商いの不振に、わが身、わが家の行く末を煩悶したことでしょう」
そう語るのが、宗太郎から三代後の当主である齊藤 透 代表取締役社長です。
齊藤社長は、予想だにしなかった驚きのエピソードを続けてくれました。「思いあぐねた宗太郎は、人づてに聞いて評判だった大阪のあるお稲荷さんの“辻占い”を頼ったのです。
辻占いは、夜半路上に立って、最初に出くわした人がどんな人物だったかを神前に報告し、それで神様のお告げを得るというものだそうです。宗太郎が道端に立っていると、向こうから大工道具を抱えた棟梁とおぼしき男が、棟上げ祝いの帰路なのか、一升徳利をぶら提げながら千鳥足でやって来たそうです。これを神前に報告すると、神主は『あなたは伏見の人だから、酒屋がよろしかろう』と言ったそうなのです」
現代では何とも信じがたいような逸話ですが、宗太郎にすれば藁をも掴みたい心境だったのでしょう。
奇しくも、宗太郎の妹は伏見の造り酒屋に嫁していました。そんな縁もあって彼も「よし、造り酒屋になろう」と決意し、明治28年(1895)に開業。酒銘を「柳正宗」「大鷹」と名付けました。現在の「英勲」と商標変更されたのは、大正4年(1915)、十代目・貞一郎が大正天皇ご即位の御大典を記念して命名したと伝えられています。
太平洋戦争下、さすが伏見は銘醸地だけに、統合や廃業の憂き目に遭う蔵元はありませんでした。
齊藤酒造は減産しつつも持ち堪え、昭和35年(1960)に法人化を迎えます。
そして昭和49年(1974)には、酒蔵が手狭になったため現在の横大路三栖山城屋敷町に移り、近代的な蔵を新築しています。
「私が社長に就任する以前は、京都の市場はまだ開拓途上にあって、主力は東日本のいくつかの地域で販売している普通酒でした。このリーズナブルで飲みやすい普通酒を今でもこよなくご愛飲頂いているお客様や新たな英勲ファンになって頂いたお客様が東日本には沢山おられます。その一方、私の代になりましてから、ようやく特定名称酒を根幹の酒として、京都や大阪、東京首都圏などからニーズを頂くようになりました。この地域では、ほぼ100%特定名称酒を展開しています。おかげさまで、全国の他県からも、お声が掛かるようになっております」
十二代目である齊藤 透 社長の就任は、平成2年(1990)でした。
弱冠32歳という若さでしたが、彼はそれまでのレギュラー酒中心の販売から、特定名称酒造りへの路線変更を決断します。
特定名称酒は一切の妥協を許さない“手造り”で臨む態勢を整え、レギュラー酒には、酒造技術者の後継難を克服するための姫飯造プラントを導入し、省力化を実現させたのです。
こうして現在、同社の酒は、日々の晩酌を楽しみにしている普通酒ファンに長く愛飲されつつ、全国新酒鑑評会においては12年連続金賞という燦然たる大記録を打ちたて、「天下の名醸地・伏見に、英勲あり!」の栄誉を得ることになったのです。
「私たち齊藤酒造の哲理は、これからも変わりません。それは、いかなる時代が来ようとも、日本酒を造る者としての魂を磨き続け、凛とした心を醸していかねばならないということです。その使命は京都・伏見とともにあり、一人でも多くのお客様が日本酒に親しみ、嗜んで頂けるよう、精進を重ねていくことです。その形として、お客様のベネフィットは生まれるはずです」
近年の英勲が獲得している大金星は、そう述べる齊藤 社長の心の現れでしょう。
そんな齊藤 社長の魅力に、次なる蔵主紹介で迫ってみることとしましょう。