本当の仕事は、お客様が封を切った瞬間に始まる。
京都の人らしい上品な雰囲気に、スマートで若々しい印象が好感を抱かせる齊藤 透 代表取締役社長は、昭和32年(1957)生まれの50歳。
もちろん、伏見に生まれ育った“京男”です。
今年、社長に就任して18年目。弱冠32歳で経営トップを受け継ぎ、卓抜した手腕を発揮して、銘酒「英勲」を珠玉の美酒へ磨き上げてきました。
「父が60歳を迎えたのを機に、私が社長に就くこととなりました。あまりにも早い時期の引退と思われがちですが、父は新しい世相や感覚にズレを抱いていたようです。でも、私はその座に就くと暗中模索ばかりでして、頼りない新米社長だったですよ(笑)」
当時を顧みて齊藤社長は苦笑いしますが、それでも若くして代表者の責務を担ったことは、非常に良かったと述懐します。
まずは重責を身を以って知り、悩み抜くこと。そこで行き詰まれば、会長である父のアドバイス・サポートに支えられたそうです。
「私は大学を卒業後、酒造業界をまったく知らないズブの素人として齊藤酒造に入社しています。ですから、自分以外の社員の価値を素直に認めることができたのです。つまり、私に無いスキルや人となりを実感することができたわけです。もし私が、酒造技術に長けていたり業界に精通していたなら、おそらく各社員に何かと指摘や苦言を呈したことでしょう。そうなると彼らはやりにくくなります。それぞれの能力や技量を、今ほど発揮できたかどうか疑問です。この観点から言いますと、経営者でも新入社員でもお互いのアイデンティティを認め合い、コンセンサスを重ねて信頼し合うパートナーになることが重要ですね」
そう語る齊藤社長の秀逸な経営能力の現れが、業界最多の「全国新酒鑑評会 12年連続金賞」なのでしょう。
さて、齊藤酒造の企業理念について具体的にインタビューを始めるや、個性的でキラリと光る齊藤社長のセンスを窺い知ることができました。
「当社は酒造メーカーですが、本当の商いの意義とは何か。つまり、何を目的として営み、何をミッションとしているのか。これが、大切ですね。例えば、サッカーのワールドカップが催される日、国民の大多数が、その夜は酒場に寄らず早々に帰宅するでしょう。その理由は、ビデオ録画じゃなくて、リアルタイムで試合を見たいわけです。しかも、酒に酔わずシラフで観戦したいから、家でも飲まない。と考えると、我々のコンペティターは、他社の酒でも、ビールでも洋酒でもなく、FIFAというわけです。つまり、サッカー観戦をするよりも価値のある酒、ワールドカップ以上の楽しさや満足を生み出す酒であらねばならないのです」
齊藤社長の論旨をまとめれば、こうなります。
- ワールドカップを観た夜に酒を飲まなかったからといって、翌日に2倍飲む人はいない。つまり、その人の飲酒機会を奪ったFIFAが酒造メーカーにとってのライバル。そういう捉え方で、酒造メーカーの仕事を考えていなければ、いつまで経っても旧態然とした姿勢から脱却することはできない -
これは、いわゆるマーケティング戦略の市場環境分析に通じるユニークなセオリーです。
「業界でよく耳にするのが、『うちの酒は、値段の高い酒造好適米をとことん精米し、新開発の酵母で造っていますから』という自慢話。でも私は、それって本当にいいのか? と思ってしまうのです。確かにスゴい酒でしょうが、お客様は、本当にそんな酒を求めているのでしょうか? その答えは、それぞれのメーカーにあってしかりですが、当社の使命は自己中心的な酒造りではなく、生活者の方々のベネフィットを創造する手段として酒造りを追求することにあります」
筆者も、その理念に大いに賛同するところです。
とは言うものの、その考えを具現化できているかどうかと胸に手を当てれば、反省が多いと齊藤社長は自戒します。
「日々の中で我々がこなしている仕事と、果たすべき仕事には、まだまだ距離があります。前者は、製品を販売して収益を上げること。しかし後者は、買って頂いた酒がお客様によって封を切られた瞬間から始まるのです。つまり、お客様が飲むリアルな場において、酒の批評から場の雰囲気、話題の提供に関わっていくことこそ、本来の仕事なのです。そこで得た情報やセンスを鵜呑みにはできませんが、つぶさに分析を重ねながら、喜ばれると酒はどういう存在なのかを考えることが大切です」
難しいことですが、齊藤酒造のようにニッチャー的な戦略を持つ蔵元は、これをやり続けることで、新たな市場を切り開くこともできるのです。
ところで、アルコール消費が徐々に低迷している時代。現実味を帯びてきた少子化社会に、日本酒の市場縮小が懸念されていますが、齊藤社長は、これにも持論を持っています。
「確かに、全体としては年々、減少傾向にあります。しかし、当社のような中小零細メーカーにとってはチャンスじゃないかと思うのです。例えばビール市場は、数社による寡占状態ですから、いずことも事業規模を縮小することになるでしょう。しかし、清酒や焼酎の乙類を生業にする中小企業は、そもそもセグメントされたマーケットを棲み分けして共存してきたわけです。ですから、低迷への戸惑いも憂いも、その度合いは少ないと思います。むしろ、順応性があって小回りが利きますから、先述したお客様へのコアコンピタンスを継続させ、個々の特長・特色を描き出すことで、チャンスが生まれるのではないでしょうか」
少子化をプラス要因にできる! そう齊藤社長は洞察しています。
締めくくりに、筆者が最も敬愛している齊藤酒造の姿勢「酒を司る者としての心」について、訊ねてみました。
「社長の私であれ、新人の社員であれ、その深さや幅は違っても、どれだけ酒造りを愛しているかだと思うのです。酒を愛しているからこそ、明日の製品を考え、技術を革新し、お客様に良い酒を提供していく。しかし、生真面目なだけでは課題を解決できませんし、一人で追い求めていては煮詰まってしまいます。ですから、柔軟な思考やアイデアも必要。
伝統文化の賜物である酒を造るという“心がまえ”と、お客様を幸せにできる酒を提供するという“心映え”。この2つの融合に、“酒を司る者の心”は生まれると思います。おそらく、遥か昔に伏見の酒が生まれた時代から、この地の蔵元にもそんな思いがあったのではないでしょうか」
卓抜した経営センス、酒脱なアイデア……齊藤 社長との談義は酒造りに留まらず、その後の話題も、京呉服や京料理にまで及びました。
銘酒「英勲」の極上の味に、また一つ、素晴らしい蔵主の魅力を加えることができたインタビューでした。