日本酒の”モノ”と”コト”の融合で、ベネフィットを創る
加治川のほとり、緑したたる林の中に瀟洒な建造物が佇んでいます。
「菊水日本酒文化研究所」と名付けられたこの蔵を訪れたなら、その誰もが、酒神の“ひもろぎ(神の降臨)”を肌に感じずにはいられないでしょう。
しかしながら、ノスタルジックな蔵元とは様相を異にする、現代的オーベルジュのようなしつらえ。一歩ここへ立ち入れば、ときめく日本酒ロマンに出逢うことができます。
1階と地下のみの設計は周囲の自然環境へ融け込み、景観を損なわないように配慮がなされています。凛とした白木の門をくぐれば、燦々と陽光が満ち溢れるホール「広敷(ひろしき)」が迎えてくれます。その静寂の空間は、訪問者に癒しと寛ぎを与えてくれるでしょう。
「居場(いば)」と呼ばれる会議室など、至る所に天然の杉材が惜しげもなく使われ、あたかも菊水酒造の母なる飯豊連峰の木霊が宿っているかのような雰囲気です。「酒文化情報資料室」には、古今東西からコレクションされた学術文献や書籍、遺物や骨董品などが収蔵され、訪れる人たちを魅了しています。
その奥には、創業者・高澤 節五郎の名を冠にした「節五郎蔵(せつごろうぐら)」も併設され、ふつふつとした酒の息吹が聞こえてきそうな雰囲気です。
「平成18年(2006)当社の法人設立50周年(創業125年)を迎えるにあたり、この菊水日本酒文化研究所を設立いたしました。その目的は、私たち日本酒にたずさわる者が、今一度、日本酒のアイデンティティとは何かをしっかりと見つめ直し、お客様の暮らしに日本酒はどういうベネフィットを創り出すことができるのかを追求することにあります。つまり、酒を造る側の我田引水的な酒造りがテーマではなく、酒を飲む人たちにとっての満足や価値を基準に“本当に良い酒とは何か”を考え、その魅力を具現化していく空間です。日本酒というモノづくり、暮らしを豊かにするコトづくり。その両者を融合させて新たな提案を創り出し、日本酒を面白くすること。それが、私たち菊水酒造の使命でありビジョンです」
この菊水日本酒文化研究所をプロデュースした高澤 大介 代表取締役社長の自信に満ちた言葉が、居場を包む清々しい木香の中に融け込んでいきます。
高澤 社長は、昭和34年(1959)新発田市の出身。菊水酒造株式会社の蔵元に生まれ育ち、まさに加治川の産湯を漬かったような人物です。
東京農業大学を卒業後、都内の大手百貨店に勤務。婦人服売り場からスタートし、さまざまなセールス部門を経験。顧客第一主義のビジネスとは何か、生活者のためのマーケティングはどうあるべきかなど、商品開発から細やかな接客サービスまで、いわゆる“鳥の目と蟻の目”のビジネススキルを鍛えました。
そして、昭和60年(1985)菊水酒造株式会社へ入社。おりしも“地酒”市場が沸騰した頃に清酒業界へ入門したわけですが、「顧客第一」「良品廉価」「共存共栄」などのスローガンを叩き込まれた百貨店時代の修行が、その後の高澤 社長の菊水酒造でのテーマ「安全・安心」「情報公開」「信頼のブランド」につながりました。
経営トップに就任以来、菊水酒造は全国の日本酒ファンから“菊水ブランド”の人気のみならず、越後酒のリーディングカンパニーとして認知されています。
「当社の経営理念ですが、近年、やや進化しました。もはや品質向上に努めることは当然であり、これからの“良い酒”造りには、お客様を幸せにできる日本酒の場作りが必要です。もっと楽しくて美味しい提案・演出が、不可欠なのです。その基準は、私たち酒造メーカーではなく、すべてお客様にあるのです」
高澤 社長が熱く語るその語尾に、菊水酒造の創業者である高澤 節五郎の信念を汲み取ることができます。
さて、独創的なマーケッターでもある高澤 社長に、今後の菊水酒造にとっての市場洞察・展望を訊ねてみました。
「大別して、2つのターゲットに取り組んでいくことになるでしょう。前者は、既存の日本酒ユーザーのお客様。ますます口が肥えて品質的ニーズは高まるでしょうし、酒を楽しむための情報や空間・シーンを求める声も増えるでしょう。そして後者は、初めて日本酒を飲むビギナーに近い方々。いわば若い年代層になるわけですが、意外に我々業界人が見誤っているのは、その方々は日本酒を嫌いでも、飲まないわけでもないということです。
じゃあ、どうすれば、その方々に引き続きファンになってもらえるのか。それは、難しいことではないと思うのです。最初の日本酒との出逢いが感動的なものであれば、きっと好きになって下さるでしょう。大切なことは、それを生み出す場や情報を地道にコツコツと創り続けて、いろいろなタイプのお客様に喜んで頂ける力を我々も育んでいくこと。つまり、ターゲットごとの細かな市場セグメントに適応した商品とサービス、情報交換を積み重ねていくことです。そこから、ブランドへの信頼や好意はふくらむと思います」
商品情報が加速度的に増える現代、暮らしのそこかしこで生活者ニーズは瞬時に変化します。そして、私たちはますます自分自身で暮らしを楽しむ術をアレンジすることに、満足を覚えます。
したがって、お客様ごとの個性にふさわしい商品群を備える菊水ブランドの進化がこれからの課題であり、ジェネラルに広げるマスマーケティング的な商品展開は難しい時代を迎えるだろうと高澤 社長は語ります。
また、製品の技術革新という点では、それが誰にとって良いのかを常に問い糺したいと述べます。
「近年まで、酒に限らず食品のイノベーション(技術革新)はメーカーや流通など売り手側に都合の良い形態でしたね。ある意味、その反動としてコンプライアンスやトレサビリティーなどの問題が、今になって勃発しているのかも知れません。当社では、いかなる事象であれ、社員全員が“それはお客様にとって、本当に良いことなのか?”をお互いに問答し、確認し合えます。ですから、次なる当社のイノベーションとは、我々の心の中で始まるのだと思います」
高澤 社長いわく、近年は清酒業界の低迷が取り沙汰されているが、菊水酒造にとっては杞憂に過ぎるとのこと。まだまだ、果たすべきミッション、挑戦すべき夢がたくさんあると声を高めます。
「菊水酒造に入社以来、これまでも、これからもずっと私のモットーなのですが、私たちは酒を造ることが最終目的ではないのです。また、お客様に買って頂いた時に、私たちのミッションが達成されるわけでもないのです。お客様が当社の酒を口にした時から、本当の仕事が始まると思うのです」
さて、熱のこもったインタビューもひと段落。締めくくりに、高澤 社長らしい座右の銘を聴かせてもらうことができました。
-あなたは私ではなく、私はあなたではない-
深い哲学のようであり、禅問答のようでもある一節。しかし、その意図は至って単純と、高澤 社長は説いてくれます。
「ITやデジタル化によって社会環境は著しく変わりましたが、変わってはならないのは人と人のコミュニケーションの基本形です。違う人同士が、何の齟齬も疑念も無くすんなり理解し合えるなどあり得ないと、私は思っています。例えば私の見解と、各社員の理解が異なるのは当然です。だから、さまざまな疑問や意見が交換され、対峙することも必然の現象でしょう。
ですから、eメールやweb、ブログなどが普及する今、お客様と心を通い合わせながら会話するシステムとはどのようなものなのか?それを考え、創り出すためには、どんな相手にも面と向かって、胸襟を開いて話し合える人であることです。そこにこそ、お客様の気持ちを汲み取り、会話を発展させ、常にお客様の立場になって考える姿勢が生まれます」
なるほど、社会インフラであるデジタル手段の根っこには、人としての湿り気や温かみといった、アナログなハートを持っているべきということでしょう。
もちろん、菊水酒造のさまざまな商品にも、そんな心が醸されているはずです。
高澤 社長のインタビューの先に見えるもの。それは、常にお客様の暮らしを育む、ベストパートナーであるというミッションでした。
“菊水ブランド”への信頼と安心、そして期待は、今後もますます高まっていくことでしょう。