この冬初めての風花が舞ったせいか、マチコは早い時刻から暖を求める客でにぎわった。小鍋料理や煮物の湯気に、誰もの顔がほころんでいた。
そんな中、一瞬客たちの会話が止まった。
菜箸を持つ真知子が何事かと視線を廻らせると、喪服姿にコートを携えた水野孝太郎が店口でポツネンと立っていた。
「真知子さん、ごめん。こんな忙しい時に。今日、親父の満中陰だったから」
厨房から出てきた真知子へ、水野は恐縮しつつ、紫色の風呂敷包みを差し出した。真知子の香典への返礼だった。
水野の両手は冷たく、かじかんでいた。しばらく見ない間に、幾分やつれたようだった。
真知子は彼の心情を斟酌しながらも、カウンター席へ誘ってみた。
「もう、四十九日になったのね。少し飲んで行く?」
「そうだな・・・・・・ひと区切りついたし」
マフラーとコートを外すと、水野は隅の席へ静かに腰を下ろした。
店内には常連の顔もうかがえたが、みな水野に気遣っているのか、声をかけようとはしなかった。
「もう、秋も終わりか」
水野はカウンターに盛られた富有柿に目をやったまま、つぶやいた。
秋の虫の音が聴こえ始めた頃、水野の父親は持病の肝硬変を悪化させた。入院は三度目で、医者も、もはや手のほどこしようがないと見放していた。
頑固一徹で、わがままな父親だった。
定年を迎えるまでは毎日が付き合い酒の午前様で、身をいとうように願う母親へも、「俺の人生だから、俺の好きにする。いちいち口を出すな」と一蹴するだけだった。
下り坂に入ってからは酒に飲まれることも多くなり、玄関先で眠りこける夜もしばしばあった。
母親似で、何事にも慎重な少年だった水野は、無鉄砲な父親を好きになれなかった。父の身体に染み込んだ酒臭さには、閉口するばかりだったと言う。
「三年前に初めて倒れるまで、俺は、ずっと親父を人情のかけらもない人だと思ってた。でもね、いざ入院を繰り返すと、いろんな人が見舞いに来てくれてさ。みんな、親父の顔見て泣くんだよ。手を握ってさあ。俺、何でこんな男のために涙を流せるんだって、まったく理解できなかった」
水野の父は、不幸な境涯の仕事仲間や同僚たちへの慈愛を惜しまなかった。""人を知るには、その人と心底まで語れ、そして酒を飲め""と周囲に説き、自ら実践していた。
そして、事切れる前には「人生は、誰かのために何ができるかを見つけることだ」と水野に言い残した。
「なぜ他人のことばかり、そんなに大事にしたのか。親父が倒れてから、やっと分かったよ。本当は安心してたんだと思う、お袋や俺のことは。家族を信じてたんだろうな」
水野は、膝に置いたマフラーを握り締めていた。
薄いグレーの地に紺色の菱柄をあしらった、上品な仕立てだった。
「いいマフラーね。お父さんの?」
真知子の酌を受けながら、水野は目頭を赤くしていた。
「・・・・・・息子に言われてね。お祖父ちゃんのマフラー、パパの匂いと同じだねって。お酒と煙草の匂いがするよって」
盃の酒が、小刻みに波紋を広げた。
「水野さん・・・・・・きっとお父さん、今、横で笑ってるよ」
微笑む真知子の言葉に、水野がこくりとうなずいた。