枯れたポプラの葉が、黄色い絨毯を敷き詰めたような公園のイチョウの上に、初冬の色をにじませていた。
「ようやく、冬らしいなってきたな」
澤井の踏みしめる落ち葉が、返事するかのようにカサッ、カサッと鳴った。
今しがた、大阪出張から帰ったばかりだった。
茂みの隅でうずくまっていた野良犬が近づいて来て、澤井が右手に提げるビニール袋に鼻先をすり寄せた。
マチコの通りで何度か見かけたことがある、ブチ模様の犬だった。
「ふっ、腹ペコか?だけど、ゴメンな。こいつは、あげられないよ。真知子さんに渡すお土産だ」
澤井が頭を軽く撫でると、犬はクゥ~クゥ~とおもねって、物欲しげな顔で彼を見送った。
後ろ髪を引かれるような気分で澤井が格子戸を開けると、カウンター席には松村と常連客たちが座っていて、珍しく宮部が厨房で立ち働いている。そこから、ソースの香ばしい匂いが漂っていた。
「何してんの、宮さん?」
「あっ、もんじゃ焼きですよ。澤井さんが大阪でうまいたこ焼きを買って帰るって聞いたから、東京のもんじゃで勝負しようと思ってね!私、もんじゃは自信があるんです。貧乏学生だったから、下宿で毎週作ってたし~♪」
確かに、宮部のコテさばきは軽やかで、なかなか手際が良いのである。
「でもさ、もんじゃ焼きって、ドロドロのできそこないのお好み焼きみたいなヤツでしょ。やっぱ、大阪のコナモンに勝てるわけないでぇ」
ふと関西弁に戻った松村が、見下すように宮部の手元を一瞥した。
「ふ~ん、それは楽しみだねぇ」と澤井はうやうやしげに、たこ焼きの包みを開けた。
「ちょっと冷えちゃったけどさ、レンジでチン!したら、ほっぺたが落ちるほどうまいよ。この心斎橋のたこ焼きにかなうコナモンは、まず無いな」
自信満々で澤井が言うように、そのたこ焼きを「それじゃ、一つ!」とつまみ食いした宮部は、打って変わって気落ちしたようにもんじゃを見つめた。
「ちょいと、私が先よ!」
続いて真知子も、ひとつまみ。
目を白黒させる真知子に、レンジで温める暇もなく、客たちはたこ焼きをつまんだ。
「おっいしい~!何がちがうの?粉かしら、タコかしら?」
真知子の声に、男たちも冷酒やビールを口にしつつ、ウンウンと頷いた。
するとカウンターの奥から、くぐもった低い声がした。
「大事なんは、ダシやダシ……」
その声の先で、見慣れない老人がコップ酒をあおっていた。目深にかぶったハンチング帽の奥に、皺だらけの目尻がほころんでいる。
「……ダシやって?おっちゃん、大阪の人?」
男の訛りに気づいた松村が、同じようなアクセントで訊き返した。
「おう、天王寺や。けど今は、東京もんじゃ。な~んてね!」
「ふっ、おもろいおっちゃんやなぁ」
ダジャレにスベっている澤井や宮部をよそに、松村は男が気に入ったらしく、お銚子を手にして近づいた。
「おっちゃん、ここで一番安い酒、飲んでんの?」
「何じゃい、あかんか。わしはこの普通酒が、一番うまいねん。ほっといてくれ」
雑な口調ながら男の表情は素朴で、抜けた前歯が愛嬌ある親爺らしさを感じさせた。男は左ききで、右手はずっとポケットに入れたままだった。
「ところで、おっちゃん、コナモンのこと詳しいの?」
「おお。昔なぁ、通天閣の下で、たこ焼き焼いてたんや。そらお前、天王寺広しといえども“マサやんのタコ焼き”ちゅうたら、泣く子も黙る美味しさやった。若い頃は、1日2000個焼いたもんや。ひとフネ百円の頃やで。通天閣にも、ぎょうさん観光客が来てなあ……懐かしいのう」
コテコテの大阪弁会話が珍しいのか、テーブル席の客たちが首を伸ばしてカウンターを見やっていた。
真知子も、気さくで人懐っこそうなマサが気に入ったのか、宮部の焼いたもんじゃを出しつつ、お銚子をコップに傾けた。
「ゲッ!何じゃい、これは?」と、マサが顔をゆがめた。大阪人の彼はもんじゃが苦手と見て、真知子がほくそえんだ。
「じゃあ、そのたこ焼き、作って欲しいわぁ♪」
「あかんで、わしはもう辞めてん。今の時代のたこ焼きは、たこ焼きやない。あら、ごまかしや。タコは外国産で小さいし、カツオダシかて粉末の偽モンや。そんな材料で、ほんまにうまいたこ焼きが作れるか。そんなたこ焼きがうまい言うてるヤツの、気が知れん。あんたら、鈍感な舌やのう」
たこ焼きをけなされた澤井は「な、なに~!これは大阪で今、一番人気のたこ焼きだよ!」と言い返したが、
「ふん、そんなもん、わしの方がうまかったわい」とマサが鼻先で笑った。
「さよか。ほんなら、もういっぺん焼いてくれや。わしの頼みなら、聞いてくれるやろなぁ。山田のマサやん」
玄関から、音程のちがった大阪弁が飛んできた。津田の声だった。
「あっ!あっ!あ、あんた、津田の兄貴。いっや~!お久しぶりで~」
やにさがっていたマサは一転して、しおらしい態度に変わった。
「ほんまに……25年ぶりや。しかも、ここで再会しようとはなぁ」
立ち上がるマサに近寄った津田は、固く握手を交わした。真知子も客たちも、ただポカンと二人を見つめていた。
「こいつ、わしの一つ年下でなぁ。通天閣の下で、うまいコナモン屋やってたんや。けど、最初はわしが仕込んだってんで。そやから、こいつの腕がええのやなくて、わしの教え方が良かったわけや……それが、ある日突然、店をたたんで、どっか行ってまいよった」
タバコをポケットから取り出すと、津田は遠慮なくマサの隣に腰掛けた。
マサが、すっと百円ライターに火を点けた。
そのしぐさはあまりにも自然で、かつての二人の関係を、真知子たちに教えるのだった。
「……すんまへん。今さら津田の兄貴に謝ってもしゃあないでっけど、これですわ」
マサがずっとポケットに突っ込んでいた右手を差し出した。人差し指が欠けていた。
「車のドアでやってもうて……たこ焼きが、ひっくリ返せんようになったんですわ。些細なことかも知れまへんけど、あの時のわしにとっては、死ぬほど辛いことでした。それで東京に流れて、もう25年。今は小さいながら居酒屋やってまんねん。ここの評判を耳にして、ちょいと覗いてみとうなりましてね」
「どんな評判や?」
「懐かしい店やとか、おかんの味がするとか。何やこう、そそられましてん。そしたら、津田の兄貴でっしゃろ……もう、これは神さんのお導きや」
「……マサ、わしに謝る必要は無いで。けど、頼みがある。もういっぺん、あのたこ焼きを食わしてくれや」
津田の吐き出した煙が、その言葉を包み込むように漂った。
「…けど、わし、指が」
「おまえ、忘れたんか。たこ焼きは、手で焼くもんやなかったやろ。心で焼くもんやと、わしは教えたはずや。たった百円のたこ焼きに、大人も子どもも、幸せを感じるもんや。そら、焼き手の気持ちがたっぷり入ってるからやろ」
マサがはっと気づいて、伏せ目がちだった顔を上げた。
いつの間にか真知子がメリケン粉と山芋、そして天然物らしきの真だこを用意して、目の前で笑っていた。
「マサやん、たこ焼き100人前、ちょうだいか~!」
松村の大阪弁が、店内に響いた。
「ま、ま、まかしとかんかい!」
マサの鼻詰まった声に、客たちの笑顔がそこかしこであふれていた。