精米が造る、地酒のうま味とは?

解体新書 第5回

鑑評会は、地酒を極めるひとつの努力の形です。

前回の巻末にお話ししたように、「鑑評会にははたしてどれほど意義があるのか」という疑問から始めましょう。

もちろん、鑑評会には鑑評会としての価値があります。たとえば、いまをときめく吟醸酒ですが、吟醸酒という言葉は昭和50年くらいから普及したもので、それまでは吟醸という言葉など存在しませんでした。そんな時に、吟醸造りという、お米を一生懸命に磨いたきれいなお酒を造ろうということになり、その技術を普及させることが必要になった訳です。

その意味で鑑評会は高い存在意義を持っています。少し余談になりますが、この米を磨くという技術、すなわち精米技術は非常に難しく、たとえば25%精白となると磨くだけで160時間もかかってしまいます。なにしろ100%を70%にする技術と、50%を切ってからの技術ではまったく違うのです。こうした点からも、鑑評会に受かるお酒をめざそうとした歴史的経緯は、全国の地酒造りの技術レベルを格段に向上させたのですから、十分に意義のあることだと認めなければなりません。

ただ、この金賞受賞酒という言葉に飲まれてはいけません。級別に意識付けされ、甘辛に躍らされ、いままたYK35に惑わされようとしています。このゼミナールでは、あくまでも自分にとっての旨さの基準は何か、というところを考えて頂きたいと思います。

精白とは、具体的にどんなことをするのか?

精白とは、具体的にどんなことをするのか?

ここで精白とは何かについてご説明しましょう。例えば30%精白では、米を70%削 ることをいいます。残った30%の米でお酒を造ることなのです。

原理としては、臼があって、その周囲にギザギザがあって、その間隙を米つぶが通り抜けて削られていきます。これを何度も繰り返す訳ですが、強引に削ろうとすると折れてしまうし、熱をもつとモチになってしまいます。精米とは、それほど時間のかかる工程なのです。

真性精白という言葉をご存知でしょうか。これはどういうことかといいますと、例えば梅錦では、精米歩合の測り方というのは次のようになっています。まず1000個の穴をあけた板の上に米つぶを1000粒並べ、その重さを測定します。目標の精米ができているかどうかは、その重さで判定します。この真性精白をしているかどうかは、蔵元をみる場合のひとつの基準になると思います。個人的見解ですが、真性精白している蔵の地酒で、まずいお酒にはいまだお目にかかったことがありません。つまりは、杜氏の姿勢がどうかということでしょう。

いま、梅錦での最高数値は25%です。これには理由があって、「一度、当社の技術でどこまで削れるかやってみよう」ということになり、この数値に達したという訳です。25%というとほとんど仁丹玉 のような大きさで、これ以上に削ると砕けてしまうので、この数値を限界にしています。しかし、これはその時の米によっても違ってきますから、ある時には22%まで削ったこともあります。でも、一度の実績で22%とするとウソの表示となりますから、25%と表示しています。また、豊作の年の米は硬くなり、不作の年は軟らかくなります。硬いと削った時に砕けやすいし、逆に軟らかいと削りやすいので22%まで可能だったということでなのです。

精白は、あくまで味わいを造るためのワンテイストです。

精白は、あくまで味わいを造るためのワンテイストです。

最後に、日本酒とワインを比較して考えてみたいのですが、ワイン造りのエッセンスには、ビンテージがあって、シャトーがあって、葡萄の品種があります。日本酒はどうかといいますと、例えば「愛媛の梅錦の山田錦の35%」となる訳です。つまり、ワインと日本酒ではビンテージと精米歩合が異なるだけなのです。ブルゴーニュあるいはボルドーの、これは愛媛のとなります。次にAシャトーの、これは梅錦のです。さらにこれこれという葡萄を使っては、山田錦を使ってです。そして最後に、ビンテージがあるのですが、これが日本酒では精米歩合ということです。

ただし日本酒の場合、そう簡単には割り切れません。酒蔵が決まり、米が決まり、精白が決まっても、たとえば生かどうかで味がまるで違ってしまうからです。さらに本醸造にするか純米にするかとか、その間に作為が入ります。作為が入るということは、つまりは杜氏の腕の部分を組み入れないと規格が作れない。無視して規格を作ったら消費者に誤解を招くのための規則を決めているようなものなのです。

今回、お話ししたかった基本点は、「どこのシャトーか=どこの蔵元か、何の葡萄か=何の米か、ビンテージはいつか=精白は何%か」という、いくつかのテイストを理解して日本酒を味わっていただければ、精白だけにこだわることなくご自身のお酒選びが楽しくなるということなのです。