市場と流通が変える、地酒のドラマとイメージ!

解体新書 第16回

一升瓶のコンセプトは、こう変わった!?

以前(第8回の面白ゼミナール)で、容器の話として「一升瓶が売れなくなる三つの理由」というのを書きました。

  1. 1. サザエさんの三河屋のサブちゃんの職業(酒屋さんのデッチ御用聞き)が無くなった事。

    原因としては職業の多様化や全体的なホワイトカラー化がベースですが、副次的には住居が核家族化に対応してマンション化するなど、土間がなくなったことにも要因があるようです。
    食品や飲料の保存場所が無くなった事が、一升瓶の減少に繋がっています。

  2. 2. 飲み比べ指向の増加

    地酒ブームもこの一端だったかもしれませんが、以前のように一種類のお酒を継続的に飲むのではなく、食の多様化に伴なって色々な酒類のアルコールを飲み比べる指向が増えました。
    グローバル化といえば一言で終わってしまうのですが、フランスのワインもドイツのビールも含めて、国酒と呼ばれるものは全て何割という単位 で減っている状況。
    単一の酒類を飲むのではなく、多種多様な消費動向に合った色々なアルコールを楽しむ風潮は世界的な流れであり、一升瓶のような保存性優先の容器の需要は減退します。

  3. 3. 晩酌の減少

    晩酌の場合には飲み比べ指向による一升瓶の減少よりも、ダンナの権威の方に問題があるようです。
    かってのアルコール市場は景気の動向に影響されやすく、業務用が減少すればホームユースが増え、料飲店の景気が良くなれば家庭内消費が減るという傾向がありました。
    昨年の道路交通法の改正以降、飲み屋に寄らないで家へ帰るようになったオトーサンに「おい酒!」と言う権利は、もはや失われていたようです。

カップ酒の市場性は、こうなった!?

この時代の現象から察するに、カップ酒というものの市場性はどうなっていたのでしょうか。

かっては「コップ酒」というとノンベの代名詞のようなもので、悪いイメージしか無かった時代に「ワンカップ」というカップ酒を開発した、灘の大手の大関さん。その苦労話は、漫画家の高瀬先生が「ワンカップ物語」風に描かれています。(※1)

しかし、いずれにせよ、前回のB大学生さんの卒論のテーマとしての御質問「地方でしか売られていない地元の酒蔵のカップ酒、だから地酒!」という定義には結び付きません。利便性優先の容器としての意味合いが強く、地方の酒蔵のカップ酒が県外に出荷されないのは市場性の問題なのです。

  1. 売り場のカップ酒コーナーは、現状では多種多様の選択肢を要求するユーザーが手を伸ばすコーナーではなく、よって2種類か3種類あれば済み、そのうちの1つを大関にすれば、離れた地方の酒蔵のカップ酒まで取り寄せる必要は無い。
  2. ヘビーユーザーにとっては、スグ飲めることが優先! だとすれば、売り場にとってはコスト優先の商品となります。だもんで、小容量 ビバリッジの宿命で大量ロット生産の体制を整えたメーカーが有利になり、地方メーカーでは競争力が無い。
  3. 輸送コスト的にみても、地方メーカーは地元で売るスタイルでなければハンディキャップがあり過ぎる!などが、地方の地酒メーカーのカップ酒の現状ではないでしょうか。

(※1)「ワンカップ大関の秘密」 高瀬斉  チクマ秀版社

はたして、カップ酒は地酒か否か!?

ではカップ酒は地酒(の定義)に関わる面は全く無いのかというと、そうでもありません。ある一定の地域内でリターナブル容器の役割を果 たすカップ酒となると、様相が変わります。

ドイツのビールなども同様ですが、本来地酒(清酒)というものは、国内といえども全国流通 を前提としない文化だったはずです。

流通を前提としないからこそ、灘の樽廻船や(江戸へ下りもしない)下らないという言葉が残っている訳です。地元で造られた酒が地元で消費される。

だから、地元の食に合った酒だけが残って地酒になりました。つまりその容器は、リターナブル前提である一升瓶が便利だったのです。

カップという容器も、少ない体積で容量を沢山積もうとすれば便利な容器。ワンウェイ容器としてではなく地域内流通 の回収壜としてのグラスコンテナとなれば、地酒の定義に合致するのかもしれません。

もっとも、カップ酒の今後の変遷としては、昔ながらのコップ酒の延長としてのカップではなく、もっとオシャレな容器として変化していくことも予感します。

若い人は一升瓶にノンベのイメージを持ち、カップ酒には違和感が無いとは言いましたが、その割にはCVSの悩みは若い女性がカップ酒のコーナーに手を出さないことにあるそうです。

消費者が手にしやすい、グラス感覚の容器の開発が必要なようです。